日本数学会のあゆみ

歴史

日本数学会のあゆみ

昭和52年 1977年 1月 志村五郎、コール賞受賞。
4月 河合隆裕に、第5回彌永賞を授賞。
10月 東京数学会社(日本数学会の前身)の創立100周年記念行事を、東京理科大学にて、日本物理学会と共同で開催(「数学」30巻2号に記念特集)。
12月 名簿を初めてコンピュータ処理で作成。
昭和53年 1978年 1月 伊藤清、朝日賞受賞。
4月 新谷卓郎に、第6回彌永賞を授賞。
6月 伊藤清、日本学士院賞、恩賜賞受賞。
8月 ヘルシンキにて国際数学者会議が開催される。基調講演:柏原正樹。セッション招待講演:荒木不二洋、福島正俊、境正一郎、志村五郎、新谷卓郎、塩浜勝博、上野健爾。
12月 彌永昌吉、日本学士院会員に選出。
昭和54年 1979年 1月 永田雅宜、国際数学連合(IMU)の副総裁に就任。
4月 西田吾郎に、第7回彌永賞を授賞。
6月 岩澤健吉、藤原賞受賞。
昭和55年 1980年 4月 塩浜勝博に、第8回彌永賞を授賞。
8月 加藤敏夫、Wiener賞受賞。
Encyclopedic Dictionary of Mathematics第1版(岩波数学辞典第2版の英訳、日本数学会編)がMIT Press から出版される。
昭和56年 1981年 2月 ニュージーランド数学会との交換会員制度を締結。
4月 柏原正樹に、第9回彌永賞を授賞。
6月 数学会の事務所を文京区本郷に移転。
昭和57年 1982年 1月 竹内外史、朝日賞受賞。
4月 飯高茂に、第10回彌永賞を授賞。
中国数学会の代表3名を、広島大学における年会に招待する。
6月 角谷静夫、日本学士院賞、恩賜賞受賞。
原亨吉、日本学士院賞、恩賜賞受賞。
昭和58年 1983年 4月 森重文に、第11回彌永賞を授賞。
7月 「数学」に「修士・博士論文のタイトル」の掲載を開始。
8月 ワルシャワにて国際数学者会議が開催される。基調講演:佐藤幹夫。セッション招待講演:飯高茂、森重文、西田孝明(キャンセル)、大島利雄、渡辺信三。
10月 日本数学会創立100年事業の1つとして「日本の数学100年史」が刊行される。
昭和59年 1984年 4月 松本幸夫に、第12回彌永賞を授賞。
5月 ICM90検討委員会を設置する(委員長、伊藤清)。これ以前からあったICM90ワーキンググループを改組して設置される。
9月 Japan Journal of Applied Mathematics (JJAM)が創刊される。 応用数学と数値解析の国際誌で、日本数学会の支援のもとにJJAM刊行会より刊行された。
12月 広中平祐、数理科学振興会を設立する。数理科学の振興を図るため、数理科学の研究助成及び研究者の育成を行う。
昭和60年 1985年 2月 ICM90準備委員会を設置する(委員長、伊藤清)。ICM90検討委員会を改組して設置される。
増田久弥、井上学術賞受賞。
4月 大島利雄に、第13回彌永賞を授賞。
5月 ICM90の京都開催が、IMU理事会で内定する。
小平邦彦、ウルフ賞受賞。
伊藤清、藤原賞受賞。
八杉満利子、猿橋賞受賞。
10月 「数学」に「シンポジウム・研究集会記録」の掲載を開始。
12月 数学辞典第3版(日本数学会編)を岩波書店から刊行(編集委員長、伊藤清)。
昭和61年 1986年 4月 小谷眞一に、第14回彌永賞を授賞。
6月 永田雅宜、日本学士院賞受賞。
8月 バークレーにて国際数学者会議が開催される。 セッション招待講演:肥田晴三、国田寛、三輪哲二。
11月 伏見正則、石川賞受賞。
12月 ICM90運営委員会を設置する。会長:小平邦彦。副会長:伊藤清、広中平祐。委員長:小松彦三郎。ICM90準備委員会を改組して設置される。
昭和62年 1987年 2月 斎藤恭司、井上学術賞受賞。
4月 砂田利一に、第15回彌永賞を授賞。
幾何学賞を創設。
5月 伊藤清、ウルフ賞受賞。
6月 佐藤幹夫、藤原賞受賞。
10月 日本数学会賞として、彌永賞を前身とする「春季賞」と、新たに「秋季賞」を創設
三輪哲二、神保道夫に、秋季賞を授賞
昭和63年 1988年 1月 柏原正樹、河合隆裕、朝日賞受賞。
3月 加藤和也に、春季賞を授賞
6月 柏原正樹、日本学士院賞受賞。
10月 森重文、川又雄二郎に、秋季賞を授賞
Sugaku Expositions (「数学」の論説の英訳)のアメリカ数学会からの出版が始まる。
平成元年 1989年 1月 赤池弘次、朝日賞受賞。
2月 森重文、井上学術賞受賞。
4月 宮岡洋一に、春季賞を授賞
9月 渡辺信三に、秋季賞を授賞
市民講演会」を開始する(1991年から広報委員会が担当)。 秋季総合分科会・年会において、高校生・大学生・教員・会社員など一般市民の方を対象に、やさしい数学の講演会を公開する。
出版委員会を設置する。出版事業・出版活動全般において、企画・立案し、実行する。主な事業として、数学辞典の改訂の準備を行い、ICM90のProceedingsを発行することとする。とくに、数学辞典の編集・改訂は数百人の会員がかかわる大事業であった。
平成2年
1990年
1月 森重文、コール賞受賞。
3月 俣野博に、春季賞を授賞
4月 「日本応用数理学会」が設立される。応用数学や産業数学を対象とする学会である。
6月 Advanced Studies in Pure Mathematics (ASPM)が、名古屋大学理学部数学教室内基礎数理センターから、日本数学会に移管される。ASPMは1983年に創刊された国際研究集会など重要な研究集会の論文集のシリーズである。
飯高茂、森重文、川又雄二郎、日本学士院賞受賞。
竹崎正道、藤原賞受賞。
8月 第1回アジア数学会議(Asian Mathematical Conference (AMC))(香港において、東南アジア数学会が主催)に、日本数学会から8名の代表を派遣する。この後にも、AMCは数年おきに東南アジアで行われ、日本数学会は若干名の代表を派遣している。
京都にて国際数学者会議(ICM90)を開催する。基調講演:伊原康隆、森重文。セッション招待講演:深谷賢治、井草清、井川満、神保道夫、柏原正樹、加藤和也、川又雄二郎、小谷眞一、楠岡成雄、松木敏彦、三村昌泰、森正武、森田茂之、村井隆文、村上温夫、大沢健夫、齋藤恭司、斎藤盛彦、塩田徹治、砂田利一、高崎金久、土屋昭博。東南アジアや東アジアの若手研究者約40名を受け入れる援助をする。
森重文、フィールズ賞受賞。
9月 塩田徹治に、秋季賞を授賞
平成3年
1991年
2月 森田茂之、井上学術賞受賞。
学術委員会を設置する。 理事会の機能のうち学術的な事項を分担するために設置された。学術委員会は、のちに、MSJ-IRI(1993~2006), MSJ-RW(1996~1998), MSJ-SI(2008~)の公募と運営を行う。
4月 斎藤盛彦に、春季賞を授賞
広報委員会を設置する。広報活動全般について、企画・立案し、実行する。
10月 土屋昭博に、秋季賞を授賞
大韓数学会の代表3名を、北海道大学における秋季総合分科会に招待する。この後も、大韓数学会との交流をすすめることとする。
12月 伊藤清、日本学士院会員に選出。
平成4年
1992年
1月 会員データを電子化する。会員数の増加に対応するために、事務局の業務を効率化するため、業務の電算化をすすめることとする。
「数学」に「自作の数学ソフトの紹介」の掲載を開始。
4月 肥田晴三に、春季賞を授賞
大学院重点化として東京大学に「大学院数理科学研究科」が設立され、この後、多くの大学で大学院重点化が行われた。
8月 「数学会通信」を創刊。主に教員公募情報を掲載する。
10月 境正一郎に、秋季賞を授賞
「数学」に「研究助成団体一覧」の掲載を開始。
平成5年
1993年
1月 大韓数学会との交換会員制度を締結。
2月 土屋昭博、井上学術賞受賞。
3月 楠岡成雄に、春季賞を授賞
5月 Encyclopedic Dictionary of Mathematics第2版(岩波数学辞典第3版の英訳、日本数学会編)がMIT Press から出版される。
6月 神保道夫、日本学士院賞受賞。
7月 第1回 日本数学会国際研究集会(MSJ-IRI)(幾何学と大域解析学)を、東北大学にて、開催 。MSJ-IRIは、日本数学会主催の国際研究集会であり、海外からの招待講演者数が5~15人以上、会議期間10日前後の規模の集会として、1993年~2006年に15回、開催された。
第2回MSJ-IRI(モヂュライ空間のトポロジー)を、京都にて、開催。
9月 村杉邦男に、秋季賞を授賞
平成6年
1994年
1月 「数学」に「国際シンポジウム案内」の掲載を開始。
3月 深谷賢治に、春季賞を授賞
4月 「大学における数学基礎教育検討のためのワーキンググループ(WG)」を設置する。「数学嫌い・理科離れ」とこの頃言われていた問題と「大学生の数学学力の低下」(ゆとりをスローガンとする小中学校・高校の学習指導要領の改訂の影響)への危機感を背景としてこのWGが設置され、これ以降に日本数学会が教育問題に深く関わっていくことの端緒となった。このWGは、のちに、教育委員会(1998年に設置)にその役割を引き継ぐ。
「サーベイレクチャー」を、年会において、2つの特別講演として、行う(学術委員会の提案)。この後、年会・秋季総合分科会で何度か「サーベイレクチャー」が行われ、のちに「企画特別講演」に発展的に移行する。
7月 声明「数学教育の危機を訴える」を数学関係の4学会が共同で発表する。
8月 チューリッヒにて国際数学者会議が開催される。 セッション招待講演:俣野博、宮岡洋一、田中洋。
9月 関孝和賞 を創設。研究業績以外で数学の発展に寄与した者に贈られる。数学会年会50回(1995年3月)を記念して創設する。
石井仁司に、秋季賞を授賞
10月 会費改定に伴い、学生・高齢会員の会費の割引制度を導入。
平成7年
1995年
2月 河内明夫、井上学術賞受賞。
3月 第3回MSJ-IRI(幾何学的複素解析)を、湘南国際村センターにて、開催。
第1回「 湘南数学セミナー」を、湘南国際村センターにて、開催する(当初は学術委員会が担当し、のちに、広報委員会が担当する)。 高校生を対象に1泊2日で開催し、現代数学の楽しさ・面白さを伝えることを目的とする。このセミナーは、1995~2009年に14回開催された。
谷口豊三郎に、関孝和賞を授賞
4月 宍倉光広に、春季賞を授賞
5月 石井志保子、猿橋賞受賞。
6月 志村五郎、藤原賞受賞。
7月 第4回MSJ-IRI(非線形波動)を、北海道大学にて、開催。
9月 無限可積分系セッションを、この回の秋季総合分科会から、始める。
向井茂に、秋季賞を授賞
平成8年
1996年
1月 ロンドン数学会との交換会員制度を締結。
4月 Friedrich Hirzeburchに、関孝和賞を授賞
斎藤秀司に、春季賞を授賞class="p-link"。
会費の自動引き落としを希望者に対して開始する。
5月 「数学通信」を創刊する。
6月 日本数学会50周年。記念事業として、秋季総合分科会における記念特別講演、日本数学会50周年記念講演会開催(式典と記念講演会、東京大学、11月)、日本数学会建部賢弘賞の創設、「数学通信」の創刊、日本数学会のシンボルマークの創定を行う。また、「全国紙上数学談話会」(1934~1949年に大阪大学数学教室が中心になって刊行していた紙上の談話会)の原稿の全体版をマイクロフィッシュ(シート状のマイクロフィルム)版として作成した。
「サロン・ド・すーがく」を、この頃、何回か開催する(広報委員会が担当)。高校生を対象に、数学の「する」楽しみ、「聞く」楽しみ、「語る」楽しみについて、数学について語り合う広場として、全国各地の高校で何回か開催する。
渡辺信三、日本学士院賞受賞。
7月 第5回MSJ-IRI(結び目理論)を、早稲田大学にて、開催。
9月 青本和彦に、秋季賞を授賞
建部賢弘賞を創設する。 若くして優秀な業績をあげた数学会会員を顕彰する。日本数学会50周年を記念して創設された。
第1回「おもしろ数学教室」を、群馬県藤岡市にて、開催する。 これ以降、毎年、関孝和の出生地である藤岡市で開催することとする。
12月 第1回 日本数学会リージョナルワークショップ(MSJ-RW) (実解析的方法の非線形波動発展方程式への応用)を、筑波大学にて、開催する。 MSJ-RWは、日本数学会主催のワークショップであり、 MSJ-IRIより小規模な、しかし期間がより長い滞在型の研究集会として、1996年~1998年に6回、開催された。検討されていた新研究所に向けた試行的な滞在型研究集会でもあった。
平成9年
1997年
1月 荒木不二洋、朝日賞受賞。
代数学賞を創設。
2月 加藤和也、井上学術賞受賞。
4月 「企画特別講演」を、年会・秋季総合分科会において、開始する。これまで行われていた「サーベイレクチャー」を発展的に「企画特別講演」に移行させた。
新井仁之に、春季賞を授賞
6月 第6回MSJ-IRI(高次元代数幾何)を、京都大学にて、開催。
7月 メモアール編集委員会を設置する。
9月 第2回MSJ-RW(型理論と証明論)を、東京工業大学にて、開催。
中村博昭、玉川安騎男、望月新一に、秋季賞を授賞
11月 森正武、石川賞受賞。
平成10年 1998年 1月 MSJ Memoir を発刊する。 MSJ Memoir は、大学院テキストに使用するための講義録や、 まとまった1つのテーマについての長編研究論文を、シリーズとして、刊行している。
2月 ドイツ数学会との交換会員制度を締結。
3月 小澤徹に、春季賞を授賞
6月 第7回MSJ-IRI(類体論)を、早稲田大学にて、開催。
伊原康隆、日本学士院賞受賞。
7月 第3回MSJ-RW (Cone-Manifolds and Hyperbolic Geometry)を、東京工業大学にて、開催。
第4回MSJ-RW(超平面配置をめぐる数学)を、東京都立大学にて、開催。
第5回MSJ-RW (Concentration Phenomena in Elliptic and Prabolic PDEs)を、東北大学にて、開催。
8月 ベルリンにて国際数学者会議が開催される。 基調講演:三輪哲二。セッション招待講演:林修平、望月新一、大槻知忠、岡本久、辻雄、脇本実。
9月 教育委員会を設置。 教育をめぐる多様な状況の変化を踏まえ、数学研究者の養成と日本における数学文化の継承と発展をはかる立場から、大学院より初等教育に至るまでの数学教育についての諸問題について考え、数学会として必要な活動を会の内外に対して行うこととする。
古田幹雄に、秋季賞を授賞
11月 伊藤清、京都賞受賞。
12月 谷口財団解散に伴い、その最後の催しである国際会議「谷口数学講演会」が奈良にて開催された(日本数学会が共催)。 谷口財団(谷口豊三郎により1976年に創設)の数学部門により、先端的な研究の国際交流として谷口数学国際シンポジウムが1974~1997年に41回開催され、日本の数学の進展に大きく寄与した。
森重文、日本学士院会員に選出。
平成11年 1999年 1月 森重文、国際数学連合(IMU)副総裁に就任。
第6回MSJ-RW(偏微分方程式の逆問題)を、群馬大学と京都大学にて、開催。
2月 楠岡成雄、井上学術賞受賞。
3月 小林俊行に、春季賞を授賞
4月 科学研究費の「外国旅費」が通常の手続きで使えるようになる。外国出張や外国人招聘がしやすくなり、国際交流が進展する。
7月 第8回MSJ-IRI(計算可換代数と組合せ論)を、大阪大学にて、開催。
9月 儀我美一に、秋季賞を授賞
平成12年 2000年 1月 三輪哲二、神保道夫、朝日賞受賞。
3月 中島啓に、春季賞を授賞
5月 クレイ数学研究所が7問のミレニアム懸賞問題を発表。
6月 日本数学会のホームページを開設。
7月 第9回MSJ-IRI(微分幾何学における可積分系)を、東京大学にて、開催。
8月 第9回数学教育国際会議(International Congress on Mathematical Education (ICME))を、東京と幕張にて、国際数学連合(IMU)と共催する。
9月 中村玄に、秋季賞を授賞
12月 社団法人日本数学会の定款を改正する。「公益法人の設立許可基準」の改正に伴い、社団法人の総会の定足数を社員の過半数にする必要が生じて、社員の定義や選出方法を見直す必要があった。代議員を新設し、役員・評議員・代議員を「社員」とすることとした。この改正は、従来はすべての会員を社団法人の社員とする「直接民主制」であったものを、役員・評議員・代議員を社員とする「間接民主制」に移行したことを意味する。また、役員の選出方法を見直し、評議員の選出方法を明文化した。
平成13年 2001年 2月 数学メモアールを発刊する。 数学メモアールは、大学院生などの若い研究者に、数学の新しい潮流をわかりやすく紹介するモノグラフのシリーズであり、すでに出版されている英文の MSJ Memoir につづいて発刊された。
倉西正武、ベルグマン賞受賞。
3月 斎藤毅に、春季賞を授賞
8月 第10回MSJ-IRI(代数群と量子群の表現論)を、上智大学にて、開催。
10月 森脇淳に、秋季賞を授賞
建築委員会を設置する(楠岡成雄(委員長)、坪井俊、岡本和夫)。台東区台東の土地を購入し、事務局ビル建設の計画をすすめる。
11月 岡潔生誕百周年記念多変数複素解析国際会議を、京都と奈良にて、開催。
平成14年 2002年 1月 柏原正樹、国際数学連合(IMU)副総裁に就任。
2月 岡本久、井上学術賞受賞。
3月 河東泰之に、春季賞を授賞
4月 解析学賞を創設。
7月 第11回MSJ-IRI(確率解析)を、湘南国際村センターにて、開催。
国際交流委員会を解散する。国際交流委員会で行っていた来日数学者援助を廃止する。国際交流委員会は、長年にわたって外国人数学者の招聘に大きな役割をはたしてきたが、科学研究費で外国人招聘ができるようになり、その役目を終える。
8月 北京にて国際数学者会議が開催される。 基調講演:中島啓。セッション招待講演:古田幹雄、堀健太朗、加藤和也、小林俊行、向井茂、野海正俊。
9月 西浦廉政に、秋季賞を授賞
10月 「男女共同参画学協会」(複数の理系の学会で設立)が設立され、日本数学会(男女共同参画社会ワーキンググループ、後の、男女共同参画推進委員会)として参加する。日本数学会は2013年11月~2014年10月に幹事学会を務める。
11月 「数学の研究業績評価についての提言」を発表する。
平成15年 2003年 1月 加藤和也、朝日賞受賞。
中島啓、コール賞受賞。
2月 深谷賢治、井上学術賞受賞。
3月 大槻知忠に、春季賞を授賞
5月 佐藤幹夫、ウルフ賞受賞。
6月 深谷賢治、日本学士院賞受賞。
7月 日本数学会ビルが竣工し、数学会の事務局を台東区台東に移転する。
日本数学会の英文ホームページを開設。
荒木不二洋、ポアンカレ賞受賞。
国際数学オリンピック日本大会(東京にて、数学オリンピック財団が主催)を後援する。
9月 有木進に、秋季賞を授賞
第12回MSJ-IRI(特異点論)を、札幌にて、開催。
大阪市立大学に数学研究所(OCAMI)が設立される。
平成16年 2004年 1月 広中平祐、レジオン・ドヌール勲章受章
2月 オーストラリア数学会との交換会員制度を締結。
儀我美一、井上学術賞受賞。
3月 スペイン数学会との交換会員制度を締結。
年会において保育室を設置する(2003年9月の秋季総合分科会では会場の近隣の保育室の紹介をした)。男女共同参画の活動の一環として、同年度秋季以降、年会・秋季総合分科会において保育室を原則として設置することとする。
熊谷隆に、春季賞を授賞
4月 国立大学が法人化される。
出前授業講師派遣をはじめる(教育委員会が担当)。 出前授業は、多くの子供たちに数学を学ぶ楽しみを伝えるために、会員を小中高校に派遣する事業であり、数学会への派遣の依頼があれば事前に登録された会員を紹介する。
6月 出版賞を創設する。出版活動などの著作活動により、数学の研究・教育・普及に顕著な業績をあげた活動を顕彰する。数学が高度に専門化したため理科系の専門家にも理解がむずかしくなっているところがあり、数学の魅力を伝える一般向け啓発書を応援することとする。
森重文、藤原賞受賞。
9月 男女共同参画社会推進委員会を設置する。 日本数学会の男女共同参画社会を推進する。「男女共同参画社会推進にむけての学会における懇談会の開催」や、「年会・秋季総合分科会における保育室設置」をこの委員会が担当することとする。
新井敏康に、秋季賞を授賞
第13回MSJ-IRI(モジュライ空間と数論幾何)を、京都大学にて、開催。
11月 大韓数学会と協定を結び、代表団相互訪問・招待講演を継続的に行うこととする。
チュニジア数学会との交換会員制度を締結。
平成17年 2005年 3月 辻雄に、春季賞を授賞
数学ソフトウェアKNOPPIX/MathのCD-ROMが、年会(日本大学)の会場にて、配布される。この回の年会より、毎年の年会で、濱田龍義等により配布されている。
望月新一、日本学士院学術奨励賞、日本学術振興会賞受賞
5月 「数学通信」の原稿の電子投稿での受付を開始。
小谷元子、猿橋賞受賞。
6月 加藤和也、日本学士院賞、恩賜賞受賞
7月 第14回MSJ-IRI(漸近解析と特異性)を、仙台にて、開催。
9月 小野薫に、秋季賞を授賞
ワークショップ「日本の数学文献の電子化について」を、岡山大学にて、開催する(出版委員会が担当)。ワークショップ第2回は2006年3月に中央大学にて、第3回は2006年9月に大阪市立大学にて、開催する。
平成18年 2006年 3月 情報システム運用委員会を設置する。数学会ホームページや、講演申し込み・アブストラクト投稿システムを、整備・運用する。
日米数学研究所(The Japan-U.S. Mathematics Institute)に、関孝和賞を授賞
望月拓郎に、春季賞を授賞
平地健吾、ベルグマン賞受賞
「Japanese Journal of Mathematics」の3rdシリーズが創刊。小林俊行を中心とした新編集委員によって、サーベイ論文に特化したジャーナルとして再出発し、高木レクチャーの内容などが掲載される。
5月 Journal of the Mathematical Society of Japan」がProject Euclid で電子化。
数学会の行事のビデオ配信を開始。
「忘れられた科学 ― 数学」のレポートを文部科学省科学技術政策研究所がだして、数学と他分野との連携の重要性が指摘される。
7月 第15回MSJ-IRI(差分方程式とその応用)を、京都大学にて、開催。
8月 マドリードにて国際数学者会議が開催される。 基調講演:加藤和也。セッション招待講演:藤原一宏、 本田公、石井仁司、満渕俊樹、小野薫、小沢登高、寺杣友秀。
伊藤清、ガウス賞受賞
9月 理事会提言「我が国の数学力向上を目指す」を発表する。
磯崎洋に、秋季賞を授賞
11月 第1回高木レクチャーを、京都大学にて、開催する。組織委員:小野薫、河東泰之、小林俊行、斎藤毅、中島啓。高木レクチャーは、毎年、世界から卓越した数学者を日本に招き、専門分野を越えた数学者や若手研究者・大学院生を主な対象とし、創造のインスピレーションを引き起こすような気概に満ちた研究総説講演を行っていただき、日本発の新たな数学の創造に寄与することを目的として、開催する。この回から、年に1,2回のペースで毎年開催している。
赤池弘次、京都賞受賞
日本数学会‐IHES国際ワークショップを、IHESにて、開催。
平成19年 2007年 2月 小野薫、井上学術賞受賞
3月 Institut des Hautes Études Scientifiques (IHES)に、関孝和賞を授賞
中西賢次に、春季賞を授賞
岩波数学辞典第4版(日本数学会編)が岩波書店から刊行される(編集委員長、服部晶夫)。
6月 荒木不二洋、フンボルト賞受賞
9月 舟木直久に、秋季賞を授賞
明治大学に先端数理科学インスティテュート(MIMS)が設立される。社会及び自然に係る現象の数理的解析を課題とする現象数理学の研究拠点である。
10月 東京大学に数物連携宇宙研究機構(IPMU)が設立される。数学・物理学・天文学の研究者の連携によって、宇宙の起源と進化の解明を目指す。
東北大学に原子分子材料科学高等研究機構(AIMR)が設立される。数学との連携により、予見に基づいて材料を開発できるような基礎的研究が進められている。
科学技術振興機構(JST)の戦略的創造研究推進事業「さきがけ」において、研究領域「数学と諸分野の協働によるブレークスルーの探索」(研究総括、西浦廉政)が発足する(さきがけ:2007~2012年度、CREST:2008~2015年度)。
12月 柏原正樹、日本学士院会員に選出
平成20年 2008年 3月 日本数学会・日本物理学会合同講演会を、年会(近畿大学)において、行う。
高岡秀夫に、春季賞を授賞
日本数学会のロゴを制定する。日本数学会への求心力となることを意図してロゴを制定し、ロゴ入りグッズ(Tシャツ、クリアファイル、ボールペンなど)の販売をはじめる。
6月 柏原正樹、藤原賞受賞
小林俊行、フンボルト賞受賞
7月 第1回日本数学会季期研究所(MSJ-SI)(幾何と確率論の関わり)を、京都大学にて、開催する。 MSJ-SIは、MSJ-IRIの後継企画として2008年度に開始された 日本数学会主催の国際研究集会であり、 若手研究者や周辺分野の研究者向けのサーベイの充実やアジアの国々との交流をめざす。
8月 関孝和三百年祭記念事業として、東京理科大にて、数学史国際会議を開催。
9月 小澤正直に、秋季賞を授賞
10月 伊藤清、文化勲章受賞
12月 台湾数学会と協定を結び、代表団相互訪問・招待講演を継続的に行うこととする。
また、台湾数学会との交換会員制度を締結。
平成21年 2009年 3月 小沢登高に、春季賞を授賞
辻雄、日本学士院学術奨励賞、日本学術振興会賞受賞
8月 第2回MSJ-SI(超平面配置)、北海道大学にて、開催。
「女子中高生夏の学校」(国立女性教育会館が主催)に講師を派遣して参加する (男女共同参画推進委員会が担当)。女子中高生が科学技術の世界の楽しさを体験し、そこで生き生きと活躍する女性たちと交流し、科学技術に関心のある仲間や先輩と知り合う機会として、開催されているイベントである。この回から、毎年、講師を派遣して参加する。
9月 谷島賢二に、秋季賞を授賞
10月 クロアチア数学会との交換会員制度を締結。
11月 総合講演・企画特別講演のアブストラクトの著作権規定を定める。
12月 深谷賢治、日本学士院会員に選出
平成22年 2010年 1月 深谷賢治、朝日賞受賞
2月 高木貞治50年祭記念事業として、東京大学にて、記念講演会を開催。
3月 伊山修に、春季賞を授賞
望月拓郎、日本学士院学術奨励賞、日本学術振興会賞受賞
JMSJ論文賞を創設。Journal of the Mathematical Society of Japan (JMSJ)の卓越した論文を顕彰する。
5月 フランス数学会との交換会員制度を締結。
7月 神保道夫、Wigner Medal受賞
「数学の振興、若手人材育成のためのアンケート調査報告および提言」 を発表する。
分科会特別講演・一般講演のアブストラクトの著作権規定を定める。
8月 ハイデラバードにて国際数学者会議が開催される。 セッション招待講演:岩田覚、泉正己、斎藤秀司、斎藤毅、山口孝男。
9月 学会一般講演オンライン申し込みシステムの運用を開始する。
泉正己に、秋季賞を授賞
10月 第3回MSJ-SI(ガロア・タイヒミュラー理論と遠アーベル幾何)を、京都大学にて、開催。
「ジャーナリスト・イン・レジデンス」(JIR)プログラムが、数理科学振興ワーキンググループ藤原耕二により始められ、これを後援する。大学・大学院での数学の教育、研究の最先端の現場に、ジャーナリストの方に一定期間滞在してもらい、数学の教育研究に関して自由に執筆・執筆準備活動を行ってもらうプログラムである。JIRは、数学研究の社会への理解増進に大きい貢献があった。JIRは、継続的に行われており、日本数学会はこれを後援している。
平成23年 2011年 1月 文部科学省研究振興局に数学イノベーションユニットが設置される。数学・数理科学の力を活用して、新たな社会的価値や経済的価値の創出につなげることをめざす。
2月 小林俊行、井上学術賞受賞
3月 東日本大震災のため、年会(早稲田大学)を緊急に中止する。講演は成立したものとする。総会・評議員会・理事会は東京大学にて行う。各国の数学会等から支援やお見舞いのメッセージ(研究員を臨時に受け入れる提案など)をうけ、心の支えとなり、励まされた。
志甫淳に、春季賞を授賞
4月 文部科学省先端研究部会に数学イノベーション委員会が設置され、小谷元子が委員になる。
九州大学にマス・フォア・インダストリ研究所(IMI)が設立される。
大学生数学基本調査」を実施する(教育委員会が担当)。 論理的文章を理解する力、論理を組み立て表現する力が学生から失われつつあるのではないか、との危惧が教育現場に広がっていることから、この調査を実施することになった。
望月拓郎、日本学士院賞受賞
5月 藤澤利喜太郎生誕150年祭として、東京大学にて記念市民講演会を開催。
溝口紀子、猿橋賞受賞
6月 「東日本大震災に際して」の理事会声明を発表する。 数学者として、教育活動や政策提言においても積極的に責任を果たしていくことを決意する。
8月 第4期科学技術基本計画に、初めて、数理科学が科学技術の基盤と記された(2011年8月に閣議決定)。数理科学は国の政策として強化されるべき分野として認められた。数理科学をめぐる一連の政策的な動きが実現されることにつながり、また、数理科学と他分野・産業界との連携を強化することにもつながった。
9月 二木昭人に、秋季賞を授賞
第4回MSJ-SI(偏微分方程式における非線形ダイナミクス)を、九州大学にて、開催。
日韓女性数学者シンポジウムを、信州大学にて、開催。
平成24年 2012年 2月 「大学生数学基本調査」に基づく数学教育への提言 を発表する。中等教育機関に対して、 「充実した数学教育を通じ論理性を育む。証明問題を解かせる等の方法により、 論理の通った文章を書く訓練を行う」ことを提言する。 大学に対して、「数学の入試問題はできるかぎり記述式にする。1年次2年次の数学教育において、思考整理と論理的記述を学生に体得させる」ことを提言する。調査の結果について、新聞等のメディアに取り上げられ、大きい反響があった。
3月 太田慎一に、春季賞を授賞
第1回「数学・数理科学のためのキャリアパスセミナー」 を、東京理科大にて、開催する。この回から、毎年、このセミナーを開催する(2013年から社会連携協議会が担当)。このセミナーは、博士課程修了者の進路の拡大や産業界を含む多様な分野へのキャリアパス構築支援を目的とする。
中国「数学書林」(「数学」の一部翻訳)が発行される。
4月 一般社団法人日本数学会を設立する(代表理事、宮岡洋一)。 社団法人日本数学会を移行して設立される。2008年に「公益法人改革の法律」が施行されたことに伴って、「一般社団法人」に移行する必要が生じて、定款を全面的に改定した。新定款では、「旧定款の代議員」を「地方区代議員」として、「旧定款の評議員」を「全国区代議員」として、「新定款の社員=代議員+役員(理事・監事)」、「新定款の評議員=全国区代議員+役員の一部」と再定義する。新しい法律の一般社団法人においては選挙された代議員と役員が社員となることに対応するための変更であった。
6月 深谷賢治、藤原賞受賞
7月 第5回MSJ-SI(シューベルトカルキュラス)を、大阪大学にて、開催。
9月 日韓数学合同会議2012」 を、九州大学にて、日本数学会と大韓数学会の共同で開催する。 この会議は、秋季総合分科会(九州大学)の前日に行われた。秋季総合分科会では大韓数学会会員15名による一般講演も行われ、学会レベルでの日韓の交流となった。
中尾充宏に、秋季賞を授賞
11月 数学協働プログラムが、統計数理研究所にて、日本数学会・日本応用数理学会・日本統計学会の協力のもと、開始される。数学・数理科学と諸科学・産業との協働によるイノベーション創出のためのプログラムである。
12月 竹内啓、日本学士院会員に選出
平成25年 2013年 2月 平地健吾、井上学術賞受賞
3月 神保道夫、三輪哲二、ハイネマン賞受賞
河原林健一、日本学士院学術奨励賞、日本学術振興会賞受賞
年会において「数学連携ワークショップ」を開催する(文部科学省主催、日本数学会共催)。 産業界での数学の応用をめざす。2014年度以降の年会・秋季総合分科会においても「数学連携ワークショップ」が毎回開催されるようになる。
第1回大学生数学基本調査報告書を発表する(教育委員会が担当)
浅岡正幸に、春季賞を授賞
4月 九州大学IMIが文部科学省「共同利用・共同研究拠点」に認定される。
終身会員制度」を導入。 在会期間25年以上かつ年齢が65歳以上の正会員で、規定の終身会費を一括納入した会員は、終身会員とする。
6月 社会連携協議会を発足させる。 学術界・産業界・経済界の有識者ならびに文部科学省関係者により,産官学連携を通した数学・数理科学の振興について議論する。博士後期課程修了者の進路の拡大や産業界を含む多様な分野へのキャリアパス構築支援として「キャリアパスセミナー」を開催する。
第6回MSJ-SI(モジュライ理論)を、京都大学にて、開催。
アジア数学会議(AMC)(東南アジア数学会主催)に、この回から日本・中国・韓国も主催者として加わることになり、この回は釜山で開催された。今後のAMCの運営にも日本・中国・韓国が加わることになった。
9月 ニュースレター委員会を設置する。 ニュースレターの発行を開始する。希望する会員にテキスト形式の電子メールで迅速に数学会の情報を提供する。
辻井正人に、秋季賞を授賞
平成26年 2014年 3月 戸田幸伸に、春季賞を授賞
公開シンポジウム「数理モデリング(数学と諸科学・産業との連携の観点から)」(主催:日本学術会議、共催:日本数学会)が、日本学術会議講堂にて、開催される。
4月 科学研究費の特設分野研究に「連携探索型数理科学」(2014年度~2016年度)が新設された。数学と他分野の連携を推進する。
科学技術振興機構(JST)の戦略的創造研究推進事業「CREST」において、研究領域「現代の数理科学と連携するモデリング手法の構築」(研究総括、坪井俊)が発足する。数学と他分野の連携のチーム型研究を支援する。
科学技術振興機構(JST)の戦略的創造研究推進事業「さきがけ」において、研究領域「社会的課題の解決に向けた数学と諸分野の協働」(研究総括、國府寛司)が発足する。数学と他分野の連携の個人型研究を支援する。
中島啓、日本学士院賞受賞
6月 明治大学MIMSが文部科学省「共同利用・共同研究拠点」に認定される。
7月 第7回MSJ-SI(双曲幾何と幾何学的群論)を、東京大学にて、開催。
8月 ソウルにて国際数学者会議が開催される。 基調講演:望月拓郎。セッション招待講演:平地健吾、熊谷隆、小木曽啓示、戸田幸伸、辻井正人。この会議で初めて日本数学会が国際数学者会議におけるレセプションを行った。
Takebe Conference 2014 (お茶の水女子大学にて開催)を後援する。建部賢弘の生誕350年を記念して、ソウルICMのサテライト国際会議として開催される。
9月 日本学術会議が「理学・工学分野における科学・夢ロードマップ2014」を発表(その「数理科学分野」の策定に日本数学会が協力)。
小薗英雄に、秋季賞を授賞
10月 第12回男女共同参画学協会連絡会シンポジウムを、東京大学にて、開催する(男女共同参画学協会連絡会が主催)。日本数学会は2013年11月~2014年10月に男女共同参画学協会連絡会の幹事学会を務めており、この第12回シンポジウムは日本数学会が中心となって運営した。
第1回「異分野・異業種研究交流会」を、東京大学にて、開催(社会連携協議会が担当)。若手数学研究者と企業関係者が交流する。(第2回は2015年11月に開催。)
平成27年 2015年 1月 森重文、国際数学連合(IMU)総裁に、アジアから初の総裁として、就任。
2月 泉正己、井上学術賞受賞
大沢健夫、ベルグマン賞受賞。
3月 小平邦彦生誕百年記念事業 として、明治大学にて、記念講演会を開催する。 記念事業の一環として、「小平邦彦 - 人と数学」(日本数学会編)が数学書房から出版される。
河原林健一に、春季賞を授賞
6月 小谷元子、初の女性の日本数学会理事長として、理事長に就任。
7月 第8回MSJ-SI(グレブナー基底)を、大阪大学にて、開催。
9月 伊藤清生誕百年記念事業として、京都産業大学にて、記念講演会を開催する。 記念事業の一環として、未出版の講義録、ビデオ、写真集、「Seminar on Probability」等の日本数学会のウェブによる公開や、JMSJによる特集号の刊行を行った。
藤原耕二に、秋季賞を授賞
平成28年 2016年 1月 ヨーロッパ数学会との交換会員制度を締結。
第5期科学技術基本計画に、基盤技術として数理科学が明記される(2016年1月に閣議決定)。
2月 「数学会通信」(内容は、主に、教員公募情報)の発行を廃止して、「数学会通信」の「数学通信」への掲載も廃止する。教員公募情報は、ウェブ上のサイトに載るようになり、数学会通信はその役割を終える。
3月 林正人、日本学士院学術奨励賞、日本学術振興会賞受賞
入谷寛に、春季賞を授賞
9月 日本数学会70周年を記念して、秋季総合分科会(関西大学)にて、記念講演を行う。