2009年度日本数学会賞秋季賞

2009年度日本数学会賞秋季賞

谷島 賢二(学習院大学理学部)
波動作用素の有界性の研究

原子や分子,原子核や素粒子などのミクロ構造について,現在では多くの事が分かっています.その基礎となる実験データは,考察対象に別のミクロ粒子のビームを衝突させ,出てくる散乱粒子を検出して得られたものです.こういったミクロ系の散乱現象は量子力学の散乱理論として説明されています.

谷島氏の研究は,そのような量子系の動力学的側面に焦点を当て,確固たる数学的基礎付けを与えたばかりでなく,解析学の様々な分野に本質的な応用を見出しています.

量子力学の基礎方程式であるシュレディンガー方程式の函数解析的取扱いに関して,大きな枠組みが出来たのはフォン・ノイマン,ストーンらのヒルベルト空間論,吉田耕作らの作用素の半群理論の登場した1930年代,40年代といえます.一方,水素原子など具体的な問題に対するハミルトニアンの自己共軛性,スペクトルの構造,波動函数の長時間的挙動といった,現在ではスペクトル・散乱理論とよばれる数学の研究分野が本格的に始まったのは1950年代と考えられます.加藤敏夫・池部晃生・黒田成俊らをはじめとする我が国の寄与には著しいものがありました.谷島氏の研究もこの流れに位置付けられるものといえます.

谷島氏の1990年以前の研究業績では

  • 時間に依存するポテンシャルをもつシュレディンガー方程式に対するスペクトル・散乱理論
  • 一様電場によるシュタルク効果のスペクトル・散乱理論
  • 散乱振幅の準古典近似理論

などの大きな仕事が顕著です.また

  • 時間に依存する特異ポテンシャルをもつシュレディンガー方程式の初期値問題の基礎理論

は授賞対象業績の魁を成すものです.この研究において谷島氏はストリッカーツ評価と称される基本解の時空可積分性に潜む双対性の構造を明らかにし,その不等式を格段に一般化した形に定式化しました.このストリッカーツ評価は加藤敏夫により直ちに応用され非線型シュレディンガー方程式の加藤理論において中心的役割を担うこととなりました.

1990年以降の研究では,ハミルトニアンが生成するユニタリ作用素として与えられる発展作用素の平滑化効果, - 有界性,その積分核である基本解の構造,特に滑らかさ,特異性,分散型評価などが主な研究課題になっています.とりわけ,最近の発表論文までに至る一連の研究において得られた波動作用素の 有界性に関する結果は,発展作用素の - 有界性に直結し,非線型シュレディンガー方程式の研究において重要な役割を果たす定理のひとつと言えます.ポテンシャルの摂動が加わることによって様相は一変し,その証明は格段に難しくなります.ハミルトニアンのスペクトル構造が,とくに低エネルギー領域での特異性が波動作用素のレゾルベントによる定常的表現式を通して密接に関わってきます.谷島氏は,散乱理論の研究で培われた深い知識と卓越した計算力を駆使し,この困難を見事に克服しています.

谷島氏の研究はシュレディンガー方程式の多くの基本的な問題に関わっています.その優れた研究成果は,線型偏微分方程式論の研究者のみならず非線型発展方程式論の研究者からも注目を浴び,偏微分方程式の研究の発展に多大な影響をもたらしています.とりわけ,波動作用素の 有界性は,一見すれば技術的と思われる問題の中に深い数学的構造と豊かな応用の可能性を見抜いた先見性と十数年におよぶ地道な研究が結実した業績であり,2009年度に日本数学会秋季賞に誠に相応しいものであります.

日本数学会
理事長 坪井 俊