2014年度日本数学会賞春季賞

2014年度日本数学会賞春季賞

戸田幸伸(東京大学カブリ数物連携宇宙研究機構)
代数多様体の導来圏の研究

代数多様体上の有理曲線の本数を数え上げることは代数幾何学の 古典的な問題である.理論物理学の弦理論から着想を得て,数え 上げの生成関数としてのGromov--Witten(GW)不変量が定義され, さらにその類似として2次元におけるDonaldson不変量を高次元化 したDonaldson--Thomas(DT)不変量やPandharipande--Thomas(PT) 不変量が定義された.これらの不変量の間には関係式があると予想 されていて,GW/DTの間の関係式として有名な Maulik--Nekrasov--Okounkov--Pandharipande (MNOP) 予想がある. 戸田氏が実質的に証明したのはDT/PTの間の関係式である.

GWなどの不変量は,これまではトーリック退化の方法を使って具体的 に計算されてきた.戸田氏の考えによれば,導来圏の方法を使えば, トーリックの条件なしに本質を究めた一般的な研究ができるようになる. アーベル圏上で議論するのではなく,導来圏にまで拡大して考えれば 対称性が高まり,具体的な計算によらずして各種の関係式が導出される ことが期待されるのである.戸田氏は,導来圏が自然に持つ対称性から DT不変量の対称性を導き,DT/PT関係式を証明するとともに,生成関数 の有理性や保型性を証明した.

弦理論におけるDouglas氏の結果を基に,Bridgeland氏は導来圏の安定性 条件を定義し,安定性条件全体のなす集合(モジュライ空間)の構造を 研究した.戸田氏の考え方の革新的なところは,DTおよびPTを異なった 安定性条件に対して定まった安定な対象の数を数え上げたものであると みなし,DT/PT予想を壁越え公式として捉えたところにある.安定性条件 を変化させていくとき,途中でいくつかの壁を越えていくことが必要になる. 壁を越えると,それまで安定であった対象が不安定になり分解する. こうして,安定対象の数え上げによって定義された不変量は壁越えによって 変化する.戸田氏はJoyce氏によって証明された壁越え公式を適用することを 考えた.

ここで重要なことは,カラビ・ヤウ多様体に対しては安定性条件の存在が 実は証明されていないのである.そこで戸田氏は,弱安定性条件という 安定性条件よりも条件を弱めたものを自ら定義し,これの存在と壁越え 公式を証明することによって,DT/PT予想を証明したのである.GW不変量 はDTよりもむしろPTに近いものであるので,GW/DT予想はGW/PT予想と戸田氏 の結果をあわせて証明されることが期待されている.

このような戸田氏の代数多様体の導来圏に関する重要な研究業績は, 日本数学会賞春季賞に誠に相応しいものである.

日本数学会
理事長 舟木 直久