2006年度日本数学会賞春季賞

2006年度日本数学会賞春季賞

望月 拓郎(京都大学大学院理学研究科)
'Harmonic bundle の漸近挙動'

望月氏は, Simpsonによる harmonic bundleの理論を高次元で非コンパクトな場合へ拡張し, その応用として 「射影多様体上の半単純な正則ホロノミックD-加群の 圏が種々の関手によって保存される」とする柏原予想 を解決しました. あるいは, Cattani, Kaplan, Schmid, 柏原, 河合らによるホッジ構造の 変動の漸近挙動に関する研究を, harmonic bundleの場合に拡張したと述べることもできます.

Simpson は(Corletteによる重要な貢献もありますが), 80年代後半から90年代にかけて, コンパクト Kähler 多様体上で, Chern 類が消えている安定な Higgs 束と, 単純な局所系の間に一対一の対応が存在することを示しました. 両者をつなぐのが harmonic bundle と呼ばれる 微分幾何学的な対象です. Simpson は, 両者が共に harmonic bundleを与える計量を持つことを 非線型偏微分方程式を解くことにより証明し, 対応を与えています.

この対応は, Kähler 多様体のコホモロジーがホッジ分解を持つことに似ています. その証明に調和積分論が用いられることが, harmonic bundle の役割に対応します. また, 安定な Higgs 束と harmonic bundle の対応は, Donaldson, Uhlenbeck-Yau により証明された, 安定なベクトル束が Einstein-Hermite 計量を持つという, Hitchin-小林対応の拡張にもなっています.

Harmonic bundle の理論を, コンパクト多様体の場合から正規交叉因子の補集合の場合に拡張することは 重要な問題です. 非線型偏微分方程式の解は因子に沿って特異性を持つので, その挙動を見る必要がありますが, 解析的には全く未開拓の状況で, 道具から作る必要がありました. 多くの先駆者, 特に Simpson,Jost-Zuo による研究を踏まえて, 応用にふさわしい形で理論を完成させたのが望月氏です.

射影多様体の変形でホッジ分解がどのように変わるかという動機付けから, ホッジ構造の変動の研究が Griffiths により創始され, 現在に続いています. 変形理論では, 多様体の退化が大切であることから分かる通り, 因子の補集合で定義されたホッジ構造の, 因子の回りでの振る舞いの理解が研究の主眼となります. とくに, 最初に述べた Cattani, Kaplan, Schmid, 柏原, 河合らによる研究が, 望月氏の研究の指針になりました.

一方, Simpson は ホッジ構造の拡張といえるツイスター構造を導入し, harmonic bunndle の解がなめらかなところでツイスター構造の 変動を与えることを示しました. Higgs 束に移ってみると, 自然に定義される C∗-作用に関する固定点として, ツイスター構造の変動の中にホッジ構造の変動が入っていることになります.

Sabbah は, さらにツイスター構造が特異点をもつ場合に研究を進め, 斎藤盛彦のホッジ加群の概念の拡張といえる pure ツイスター D-加群の 定義を与え, その圏がさまざまな関手によって保存されることを証明しました. この研究は, 柏原予想の解決のプログラムとして提唱されたものです.

望月氏は, Simpsonの結果を非コンパクトな場合に拡張して, 因子の補空間で定義されたharmonic bundleが, pure ツイスター D-加群を与えることを, harmonic bundle の因子の回りでの挙動を精密に 調べることにより証明し, Sabbah のプログラムを完成させ柏原予想を解決しました.

以上のような望月拓郎氏の harmonic bundle の漸近挙動の研究は, 代数幾何,代数解析を含む多くの分野に多大な貢献をもたらし, 2006年度日本数学会賞春季賞に誠に相応しいものであります.

なお, 柏原予想は, ほぼ同じ時期に Drinfeld, Gaitsgory, Boeckle-Khare らにより, 数論幾何を用いた証明も与えられたことを申し添えます.

日本数学会
理事長 小島 定吉