日本数学会のあゆみ
藤澤利喜太郎生誕150年祭
藤澤利喜太郎生誕150年記念事業について

藤澤利喜太郎は、近代日本数学界の研究・教育・社会貢献の全ての面の礎を築いた数学者です。彼の息子の回想「何故数学を専門にしたのかと聞いたときに、即座に日本人にとって数学と物理学とは非常にむずかしい上に、之が分らなければ日本は世界的に発展出来ないから御国のためにやったのだと答えてくれた。」とあるように、国家のために数学を専門にすることを決意し、精力的に数学界のために尽くしました 。
藤澤は1861年生まれで、2011年は生誕150年の記念すべき年にあたります。そこで、日本数学会理事会は2 011年を藤澤利喜太郎生誕150年祭の年として、藤澤の事績を振り返り、当時の数学および数学者が果たした存在意義を再確認したいと考えました。
記念に企画した市民講演会は東日本大震災の影響で、予定していた3月19日には行えませんでしたが、日本科学史学会の年総会日程に合わせ2011年5月28日に共催として開催しました。藤澤は大正12年9月1日の関東大地震によって引き起こされた火災により家財をすべて失いましたが、復興に当たっては当時の東京市の縮小、地方の多数の小都市へ分散を提言するなどもしています。晩年は政 治家としても活 躍しました。
近代日本にあって、菊池大麓がまず西洋流の数学教育を導入したのに対して、藤澤は数学関係では初めて本格的な研究論文を執筆しドイツで理学博士となり、ドイツ流のセミナリー方式を数学研究のために導入し、高木貞治など後進を育成しました。中等教育のために教科書を執筆し、教員講習も行いました 。また、国体護持のためには、生命保険制度が必要と説き、配当制度も提言し、また、簡易保険の導入にも尽力しました。さらに、第一回普通選挙の統計的な分析も行い選挙制度への提言もしました。
News
- 市民講演会の記録「五港育ち,『生命保険論』と『総選挙読本』」(清水 達雄会員、「数学通信」16巻3号)が公開されました。(2011/11/04)
- 「藤澤利喜太郎生誕 150 年記念市民講演会について 」(担当理事 真島秀行、「数学通信」16巻3号)
- 日本数学会主催市民講演会「題目:藤澤利喜太郎生誕150年 五港育ち,『生命保険論』と『総選挙読本』」(講師 清水達雄会員)の講演ビデオを公開します
東京大学数理ビデオアーカイブス (RealVideo版, WindowsMedia版) -
日本数学会主催 市民講演会 開催のお知らせ
日時:2011年5月28日(土)14時から
場所:東京大学大学院数理科学研究科大講堂
講演者:清水達雄(元清水建設研究所員)
題目:藤澤利喜太郎生誕150年 五港育ち,『生命保険論』と『総選挙読本』 -
近代数学、社会に生かすー日本で基礎築いた藤沢利喜太郎生誕150年ー(朝日新聞朝刊、朝日新聞web版アスパラクラブ2011/03/01)
- 早稲田大学理工学術院で2011年3月19日(土)に開催されます市民講演会で、清水達雄会員による講演「藤澤利喜太郎生誕150年ー五港育ち,『生命保険論』と『総選挙読本』ー」を開催します。(2011/01/26)
(追記)この会は中止になりました。 - パネル展示「藤澤利喜太郎 その生涯と業績」(3月19日(土)13:00から23日(水)13:00 、早稲田大学理工学術院(西早稲田キャンパス)63号館2階05会議室)(2011/01/31)
藤澤利喜太郎略年譜
1861年10月12日 (文久元年九月九日) |
新潟生、生地の小学校に於いて初等教育を受ける |
1874年(明治 7年) | 東京英語学校に入学 |
1876年(明治9年) 9月 |
開成学校入学 |
1878年(明治11年) 9月 |
東京大学入学、物理学、数学及び天文学を修める |
1882年(明治15年) | 理学士試験に合格 |
1883年(明治16年) | 夏、留学、始めはロンドン大学、 同年12月の終、ベルリン大学に入学、1884年夏学期の終まで修業する |
1884年(明治17年) | 9月 ストラスブルグ大学にて数学の研究を継続する 独逸国留学中、教えを受けた諸氏は下記の通り:アロン、クリストッフェル、ヘルムホルツ、キルヒホッフ、クノオブラウフ、クロネッケル、クント、ネットォ、ライエ、ワイエルストラス、 |
1886年(明治19年) | 7月 ドクトル試験通過 学位論文(原文はドイツ語): 「熱伝動論に現れる、超越方程式の根により展開される無限級数について」 其の後再びベルリン大学に若干期間を過ごす |
1887年(明治20年) | 5月帰国、6月(帝国大学)理科大学教授就任、解析学の講義担当 |
1890年(明治23年) | 尋常中学校教員講習会委員を命ぜられる |
1891年(明治24年) | 理学博士(総長推薦)、教員検定試験委員を命ぜられる(大正10年迄) |
1896年(明治29年) | 法科大学において統計学を講義 東京数学物理学会委員長(任期一年) |
1897年(明治30年) | 9月 尋常中学校教科細目調査委員を命ぜられる(明治41年4月迄) |
1899年(明治32年) | 理学文書編纂委員を命ぜられる(明治44年迄) |
1900年(明治33年) | 8月 第2回万国数学者会議(パリ)に出席 “Note on the mathematics of the old Japanese school”という題講演 帰国後、ヒルベルトの23の問題など報告を書く |
1903年(明治36年) | 東京数学物理学会委員長(任期一年) |
1906年(明治39年) | 帝国学士院会員 |
1910年(明治43年) | 数学教科調査委員会会長を命ぜられる |
1911年(明治44年) | 郵便保険年金の仕事に従事 |
1912年(明治45年) | 帝国学士院代表としてロンドン=ロイヤル=ソサイエティー創立250年祝賀式に参列、 第5回万国数学者会議(ケンブリッジ)に出席 |
1919年(大正 8年) | 東京帝国大学理学部長事務取扱を命ぜられる 東京帝国大学理学部において数理統計学を講義 |
1920年(大正 9年) | 勲一等瑞宝章を受章 学術研究会議会委員、中央統計委員会委員を命ぜられる |
1921年(大正11年) | 3月 退職 |
1924年(大正13年) | 文政審議会委員を命ぜられる |
1925年(大正14年) | 10月 帝国学士院代表として貴族院議員に選任せられる |
1932年(昭和 7年) | 帝国学士院代表として貴族院議員に再選せられる 学術振興会理事就任 法制審議会臨時委員を命ぜられる |
1933年(昭和 8年) | 12月23日、心臓病の為に易簀、享年73 |
藤澤利喜太郎関係資料
主要著書・編著
(リンクは国会図書館NDL-OPAC)
- 「生命保険論」(文海堂、1889年(明治22年))
- 「統計活論」(東洋学芸雑誌151号(明治27年)
- 「再び統計を論ず」(東洋学芸雑誌153号(明治27年))
- 藤澤教授セミナリー演習録1~5(1896年(明治29年)~1900年(33年))
- 『算術条目及教授法』藤沢利喜太郎、1895年(明治25年)
- 『算術教科書』大日本図書、1896年(明治29年)
- 「日本数学教育の概括的報文」Summary Report on the Teaching of Mathematics in Japan(1912年(明治四十五年)発行、文部省、非売品)
- 『総選挙読本 - 普選総選挙の第1回』岩波書店、1928年
遺文集・追想録
(リンクは国会図書館NDL-OPAC)
- 『藤沢博士遺文集』上・中・下巻、藤沢博士記念会、1934 - 1935年
- 『藤沢博士追想録』東京帝国大学理学部数学教室藤沢博士記念会、1938年
論文
(リンクはJSTのJournal@rcchive)
リンク
- 東京大学大学院数理科学研究科のGallery
- 藤澤利喜太郎先生の写真があります
- アーカイブ室新聞、中桐正夫氏(国立天文台アーカイブ室)、2008年6月13日 第22号
- 寺尾寿教授在職25年祝賀会の写真に藤澤利喜太郎先生が写っています。番号は65番です。)