2024年度日本数学会賞秋季賞

2024年度日本数学会賞秋季賞

吉田朋広(東京大学大学院数理科学研究科)
理論統計学の基礎数理の開拓

吉田朋広氏は理論統計学,特に確率分布の漸近展開理論と統計推測の基礎理論である擬似尤度解析について研究しています.それは数理統計学と確率論にまたがり,基礎理論から全く新しい方法論の提案まで幅広く及んでいます.とりわけ,確率過程の統計学への寄与は顕著であり,以下の成果が挙げられます:
• エルゴード的および非エルゴード的統計における漸近展開の方法論の創出
• 擬似尤度解析の確立および非正則構造への理論の一般化
統計的漸近理論の根本的な問題を対象としていますが,その新規性と洗練度は卓越しています.

漸近展開に関する成果は,確率論・数理統計学に従来なく,これまでの理論を根底から再構築するものであり,重要な貢献となっています.吉田氏の研究は,確率論や数理統計学の分野で基礎的な進展をもたらし,特に以下の点で注目されています:
• Malliavin解析を数理統計学に導入し,古典理論を確率過程まで扱える枠組みに拡張したこと
• Wiener汎関数に対する一般展開定理や非エルゴード的統計の漸近展開公式を証明したこと
これらは世界初の快挙で,従来の漸近展開と一線を画する全く新しい展開公式が導出されました.具体的には,混合正規極限を持つマルチンゲールの漸近展開公式,Skorohod積分の非エルゴード的漸近展開公式,anticipativeなウエイトを持つp-変動の漸近展開公式,非整数ブラウン運動で駆動される確率微分方程式の解の2次変動の漸近展開公式を証明しました.長年未解決であった問題に‘漸近展開は可能である’という肯定的な解答を世に与えた偉業は特筆に値します.

また,吉田氏が構築した擬似尤度解析は統計推測論の分野において,重要な役割を果たしています.Le Cam, Hájek, Ibragimov–Has'minskii, Jeganathanらが築いた統計推測論の幹である漸近決定理論は,吉田氏の擬似尤度解析により非線形確率過程の統計モデルを自由に扱える域に到達しました.特に,最尤型推定量やベイズ型推定量の 𝐿𝑝-評価を含む漸近理論やモデル選択のための情報量規準の正当化が可能になるなど,従属系の現代統計学への扉を開いた擬似尤度解析のインパクトは誠に大きなものです.また,正則化法を擬似尤度解析の統計的確率場の方法によって定式化し,従属系に適用可能なスパース推定の一般論を与え,識別可能性のない統計モデルに対して推定量の漸近分布を伴う漸近理論を確立したことは,統計推測論の枠組みの本質的な拡張をもたらしたと言えます.さらに,ジャンプ付きの伊藤過程の分散構造のロバスト推定問題や退化拡散過程の推定問題に対して,擬似尤度解析を適用して推定量の漸近的性質を証明しました.

2000年代半ばに4次積率定理が発表されて以降,Malliavin解析による極限定理の研究が確率論で大きな動きになっていますが,吉田氏は90年代半ばに漸近展開において漸近分布論とMalliavin解析を結びつけました.また,確率過程の漸近決定理論においてMalliavin解析は今日では標準的な道具になっていますが,吉田氏は90年代初頭に確率微分方程式の統計推測論に初めてそれを導入しました.これらは吉田氏の先見性を示す例となっております.

さらに,吉田氏は確率過程に対するシミュレーションと統計解析のためのRパッケージYUIMA開発の国際的なYUIMA Projectを率いており,その成果は漸近展開による超高速の期待値計算モジュールや擬似尤度解析における最尤型推定量の計算モジュールとして実用化されています.

以上のように,吉田朋広氏の業績は2024年度日本数学会賞秋季賞に誠に相応しいものであります.

日本数学会
理事長 鎌田 聖一