2020年度日本数学会賞春季賞

2020年度日本数学会賞春季賞

尾髙悠志(京都大学大学院理学研究科)
K安定性とその代数幾何的応用

尾髙悠志氏は代数幾何学と微分幾何学の境界領域でモジュライ空間を中心に研究をして来ました.代数幾何学では,モジュライ空間の構成ではGeometric Invariant TheoryによるGIT-安定性が重要な役割を演じますが,尾髙氏はその微分幾何的類似として派生したK安定性の研究に取り組むとともに,計量の退化の観点からモジュライ空間のコンパクト化を求めるなど,代数幾何学ならびに微分幾何学の深い部分に橋を掛けるスケールの大きな仕事を続けて来ました.

K安定性は代数多様体が標準ケーラー計量を持つための条件で,Fano多様体がケーラー・アインシュタイン計量を持つための条件としてG. Tianが定義し,後に偏極多様体がスカラー曲率一定計量を持つための条件としてS. K. Donaldsonが定義を一般化したものです.尾髙氏の最初の発見は,Minimal Model Programの研究の新しい進展が概念的にも技術的にもK安定性の研究によく適合することです.この発見はChenyang Xu,藤田健人氏らをはじめとする代数幾何学者の研究を触発し,複素幾何・複素解析の研究に大きな影響を与え,尾髙氏自身のみならず多くの研究者によるその後の活発な研究につながっております.

Chen--Donaldson--SunおよびTianはFano多様体上のケーラー・アインシュタイン計量の存在とK安定性が同値性であることを証明したわけですが,そこで用いられたテクニックが,Geometric Invariant Theoryという純代数幾何的モジュライ理論ではとらえられない部分を補完できる,ということも尾髙氏の大きな発見の一つです.Chen--Donaldson--SunおよびTianの証明ではGromov--Hausdorff収束を用いていますが,尾髙氏はGromov--Hausdorff極限を用いることでモジュライ空間の良いコンパクト化が記述できることを示しました.さらにこのアイデアは大島芳樹氏とのK3曲面のモジュライ空間に関する共同研究にも生かされております.現在までK3曲面の場合の代数幾何学的な良いコンパクト化は知られていません.尾髙氏の微分幾何的研究が代数幾何学におけるコンパクト化の指針となる可能性も期待できます.

Yauの1970年代のCalabi予想の解決は結果自体が様々な応用をもたらしました.それに比べると,Fano多様体のケーラー・アインシュタイン計量の存在は結果自体もさることながら,そこで用いられたK安定性という概念が有効性であり,それを明らかにしたところが尾髙氏の功績といえます.

尾髙悠志氏は大局観に優れた数学者で,代数幾何と微分幾何の境界領域で,双方の深部にせまる研究をしているのみならず,関連分野の多くの研究者を刺激する研究をしています.尾髙悠志氏の業績は2020年度日本数学会賞春季賞に相応しいものであります.

日本数学会
理事長 寺杣 友秀