日本数学会のあゆみ

高木貞治50年祭記念--高木貞治紹介DVD・菊池大麓紹介DVDの配付--

NHK第一ラジオ放送「朝の訪問 高木貞治」より

質問:一口に数学者と申しますと何かこう一般から離れた存在、別の世界に住んでいる方のように印象を受けるのでございますが、お人によって違いますでしょうけれど、先生の場合は、一般社会への関心の度合いと申しますか、如何でございましょう。

高木貞治:僕なんか、なんの、関心というて、持たない訳ではないのだけれど、あんまり世間に出ませんしね。まあ社交性の一番少ない方なんだな、僕なんか。僕なんか、標本、標準にすると、少し間違うかもしれない。極端な場合かもしれない。(苦笑い)

もう少しそういう数学をやる者は、社会に出た方がよいと思うのですけどね。少し僕らの前の菊池さんらがね、藤澤さんというような人は、政治社会に出ていたのだから、よかったのだけれども、その後、ああいういう人がいませんでね。やっぱり、社会のためにも、学会のためにもね、よくないと思うのですけどね。

どうも時世が変わったものだから、・・・どうも、やむをえない。(苦笑い)

質問:その、数学教育でございますね、昔と今ではではだいぶ変わっておりますですね、今のは何と申しますか、実用的と申しますか。

高木貞治:そうです。昔はまあ、論理的の訓練ということをやっていて、だいぶ、まあ。おもにその方が主だったとおもいますけどね。あまり、どうも今、実用的、というても、本当に実用的にならないと思うのですけどね。ただ教わったことだけしか分らないというのではね、あれ、名前はいいのだけれど、実用的というのは、つまり、融通が利かないということ、習ったことだけしか分からないようでは、どうせ忘れてしまうのだからあまり実用にならない、なんのことはない、頭の訓練という方はね、いろいろな説はあるが、もしうまくいけば残るわけですからね。

まあ、あまりどっちにしても極端はいけないと思いますが、ね。あまり一方に偏してはいけない。

いまはごたごたしていて何でしょう。教育制度がかわったものだから。

質問:いかがでございましょう。先生がご覧になりまして、日本人の数学に対する関心は、外国などと比べてどうなのでしょう。

高木貞治:外国だってあまりその数学が好きな人、わかる人は少ないと思うのですけど、どことなく違うと思うのは、数学に限らないのだろうけれど、そういうものを(外国では)信頼している、そして関心を持っている、そこのところがどうも日本と少し違う、と思う。

みんな日本では、日本の科学のためにあまり恩恵を受けていない、と思っている。つまりその科学者の研究のために、お金がもうかったとか、何か、そういう覚えがないものだから、自然にどうも冷淡にならざるを得ない、と思うのですけど。そういうことは西欧とは違うだろうと思う。そういう気がしますね。

まあ、一つは、何でも今までは向こうで(西欧で)できたものを輸入して、そういう原理的なものと、すぐ実用になる一番末端的なものと、向こうでは、つながっていますけれど、元のところではね、別々に輸入されてね、こっち(日本)では、原理は原理、最後のその応用は応用とね、そこのところが違いますからね。そういうところが原因かもしれませんが、まあ、おいおい、改めていくのでしょう。

(テープ起こし活字化 文責・DVD監修 真島 秀行)