日本数学会の出版物

巻 頭 言

1巻1号

社団法人日本数学会は今年1996年に創立50周年を迎えます. 日本数物学会が数学と物理の学会に分離した1946年以来の会員の 方は現在でも100名以上いらっしゃいます. 現在の日本数学会の発 展は創立以来の諸先輩のご苦労に対して, この場をお借りしてあらた めて深く感謝申し上げます.
現在は日本数学会の歴史を語るのに良い機会ではありますが, 歴史 から学ぶことは来るべき将来への教訓を学ぶことで意義深いものとな ります. 創立50周年を祝うと同時に,日本数学会の来るべき50年 を語り合おうではありませんか.
ところで,現在の数学界を取り巻く状況は,世界的にも厳しいもの があります. アメリカのある大学では研究者を養成するという意味の 数学教室が廃止されました.また,ヨーロッパの国でも,ここまで極 端なことはないとしても,若い数学研究者の状況は明るくありません. 日本でも,いろいろな場面で数学のまわりの環境が閉塞状態にある, と感じている人は少なくないと思われます.しかし,私がここで述べ たいことは,そのような悲観的なことではありません.
近年大学においては,大学院重点化,あるいは教養部の統合廃止と いう形の改革が進められています.このことの評価は人様々でしょう が,欧米諸国の動向と比較すれば,まだ数学者自身の自立性が保たれ ているように思います.少なくとも今,なにをするべきか,どこに向 かうべきか,という議論が方々で行われていることは,私たちの強み です.この中から将来の展望が開けてくるのではないでしょうか.
もちろん,日本数学会の将来は現在の会員である私たちが作ってい くものです.その意味を込めて創立50周年記念として,理事会では 評議員のみなさまと相談して,いろいろな事業を企画しました.本誌 掲載の会報81号をご参照ください.実は,今皆様が手に取っている 「数学通信」の創刊もその一つです.会員同志のコミニケーションの 場を提供できれば本望です.いろいろなご意見をお寄せください.

(理事長 岡本 和夫)

1巻2号

二年前に東大の大学院数理科学研究科の評価を依頼されて東京に半年余り滞 在した頃は丁度大学の改革が始まったばかりでした.その後この二年間に数多 くの大学が改革に乗り出してきていると聞いています.
改革には勿論研究と教育の二面があるわけですが,ここでは研究の方に重点 を置いて考えてみます.上に触れた評価委員会報告書の人事に関するところで も述べたのですが,人事の流動性ということが一つの大学にとってだけでなく, 日本の数学会全体にとって一番重要なことかと思います.
自分の卒業した大学に就職してそこで定年まで過すというのは安心感があっ て居心地のよい一生かもしれませんが,そういう人達でも外国の大学や研究所 にしばらく滞在したことが研究に非常なプラスになった経験をしているでしょ う.
自分の大学で博士号を取った学生は非常に優秀であっても最初の就職はよそ の大学でという原則は大学をよくするだけでなく本人のためにもなり,またア イデァの交流という点で日本の数学全体にとってもプラスになる筈です.アメ リカで mercy appointment という言葉があります.Ph.D. は取ったが職のみ つからない学生を教室があわれんで 1~2年置いてやるという話は三流大学で 時々あります.まあ,そういうことをするから三流になるのでしょう.手放す のが惜しいような優秀な学生でも2~3年して客観的に見れば,よそにもっと優 秀なのがいるということはよくあることです.
JSPSのフェローシップを増やして優秀な Ph.D.はそれでよその大学か外国に 数年行って貰い,自然淘汰するのがよいのかと思います.ここで,よそに行く いとう条件が大事です.
そして,これと表裏をなすのが,教授,助教授の公募制,名目だけでない本 当の公募制です.こういうことは,可能な大学が次々と始めて一般的風潮にな るようにしていくしかないでしょう.

小林昭七(カリフォルニア大学バークレー校)

1巻3号

「非人間的科学から人間的科学へ!」 「非文化的科学から文化的科学へ!」
これは,私が尊敬する坂井光夫日仏理工科会会長が最近強調しているスローガンである.今年は日本数学会50周年であるが,放射能発見百年の年でもある.坂井さんは原子核物理学者であり,若い頃,広島に落とされた原子爆弾の灰から出る放射能の測定を行った経験がある,と聞いた.ベックレルによる放射能の発見が自然科学や医学の進歩に大きな影響を与えたことは事実であるとしても,人類が被った害も少なくない.自然科学者は自分の研究が必ず人類の不幸しか生み出さないとわかっていたなら,その研究を続けるだろうか.なにも考えずに突き進むのは非人間的科学の道,非文化的科学の道である.
このスローガンで,科学を数学に置き換えたらどうだろう.私は一瞬そんなことを考えた.レントゲンがX線を発見した直後に,放射能の存在の可能性について述べ,ベックレルに影響を与えたのはポアンカレである.彼等は原子爆弾等考えもしなかったろう.そのことについて彼等に責任を負わせることもできない.数学上の発見が自然科学を経て人類に直接影響するにはだいぶ時間がかかる.その意味でも,数学者の研究態度は核物理学者より自由である,と言っても良い.好きでもない数学に苦しんでいる受験生はともかく,数学者には「非人間的数学」は考えにくい.少なくとも私は数学者であって幸せであると思っている.私は楽観的すぎるのだろうか.
「非人間的数学」,「非文化的数学」よりも「人間的数学」,「文化的数学」が良い,と思うのは個人の勝手で,日本数学会はそんな議論から超越したところにある,という立場もあり得る.私は「文化的数学」を目指したい.なにが「文化的」であるのか,うまく言えないけれど,少なくとも自由でありたい,と思っている.自由に研究し自由に議論する場がたくさんあることは「文化的」であるための必要条件ではないだろうか.上のスローガンからこんなことを考えている.

(理事長 岡本 和夫)

1巻4号

冷戦が終わり次の秩序がまだ構築されていない現代は激動の時代と未来の歴史書は述べるであろう.ここ5年間の大学の変貌のすさまじさは激動の時代というに相応しい.しかし,この大学の変貌で私たちは将来への明るい展望をどれだけ持つことができたのであろうか.学問を創造する場,文化を創造する場としての大学が急速に色あせて来てはいないであろうか.
数学に関しては,これまで,問題をはらみながらもそれなりに機能してきた研究者養成一つをとってみても,大学院重点化の結果,早くも危機的状況に達している.組織の改変,新しい規則の制定,授業のシラバスの作成のような外面的な整備ばかりが先行し,数学という学問を創造する場にふさわしい雰囲気が大学や教室から急速になくなりつつある.多くの大学から様々の分野で,たとえ少数であっても研究者が毎年育っていくことが無くなれば,日本の数学そのものの活力は急速に衰えて行くであろう.
さらに,我が国の巨大な財政赤字は大学の基礎をゆるがし,国立大学の民営化への模索,科学技術基本法のもとで直ぐ応用される研究の優遇とそれに伴う文化を支える学問への研究費の激減,大学教員への任期制の導入にともなう研究者の使い捨てなどが予想され,大学の将来には暗雲が立ちこめている.
こうした時代には個々人の見識と責任ある行動,および文部省に優遇されている大きな大学が見識を持ち責任のある行動をとることの持つ意味は大きい.何事をするにせよ,将来もたらされる結果に対する洞察と,その結果に対する責任を負う自覚無くしては新しい時代を作り上げることは不可能である.長期的な視野に立ち,自分たちの組織には一時的には不利なことであっても,他の多くの組織に役に立つことを実行するだけの勇気とモラルがいま最も必要とされている.本誌1号3巻の「国立10大学等数学連絡会議報告」には,こうした視点が全く欠落しているのは残念である.今後の議論に期待し,再度報告をお願いしたい.
現在の様々な問題は複雑な側面を持ち,多様な視点から将来に対して深く洞察することが必要である.そのためには,何よりもまず,こうした問題を皆でオープンに議論することから始めることが肝要である.本誌は,単に日本数学会の活動の報告にとどまらず,数学界を取り巻く重要な問題に対して議論を行う場を提供することを目的として創刊された.活発な議論が本誌上で行われ,日本の数学の将来に明るい陽がさす日が来ることを切に希望する.

(出版担当理事 上野 健爾)