日本数学会の出版物
巻 頭 言
6巻1号
近年,説明責任(accountability)ということが重視され始めている.これまで,大学の研究者はその研究の価値を社会に説明する必要があまりなかった.社会がそれを強く求めることもなかった.教育においても,なぜその学問を勉強すべきかを学生にていねいに説明することはなかったし,学生自らがそれを見出すべきものとされていた.しかし,今後はそれらを説明し理解してもらう必要があるようだ.
数学の研究の価値を社会に説明するにはどうすればよいだろうか.一つの方法はその実利を説くことである. 数学も最近は特許の対象と考えられるようになり,数学をビジネスの種と見なす人も増えてきた.実利を説くことには説得力がある.しかし,端的に言ってしまえば,数学は思考のゲームとして発展してきたのであり,多くの数学者は(短期的な)実利のために数学に取り組んできたわけではない.自分の研究の実利的効用を説明せよと言われても多くの数学者は困るのではないか.数学の理論ができて応用に結びつくまでの時間差は,だんだん短くなってきているが,それでも数十年あることは珍しくない. 微積分学にして も,ニュ-トンが物理学のために発明したようによく言われるが,ニュートン以前にも微積分学には長い歴史がある.ニュ-トン以前の数学者には微積分学の実利的価値を説明することは困難であったはずである.
数学の研究の価値を社会に説明するには,数学の夢を語り,面白さを伝え,数学とその応用の歴史を知ってもらうことが大事なのではないだろうか.既に,各地における公開講座,一般の人に向けた本や記事の執筆など色々な活動が多くの人の努力により行われている.それは数学の研究を護るのに重要なもので,数学者全体として支援していくべきものである.社会の広い層に訴えるには,さらに様々な試みを行っていく必要がある.
話は全く変わるが,理事長に選ばれましたので今号より「数学通信」編集委員長を坪井俊氏に交代してもらいました.任期の1年間,理事長職を懸命に務めるつもりですので,よろしくお願いします.
(理事長 楠岡成雄)
6巻2号
半年程前はまだ前世紀末だった.その頃は,20世紀の数学の総括をし,21世紀の数学の展望をしようという熱心な企画がたくさんあった.そのおかげで,21世紀にはどのような数学がみられるのかと楽しみであった.今,本当に21世紀になってみると,そのような熱気は薄れているような気がする.もちろん数学者たちは21世紀の数学を発表する準備に入っているのであろう.
そのように思いながら,先日キャンパスを歩いていたところ,『生命の初期化』というカンバンに魅かれて,ある講演会場に入り込んでしまっていた.様子を見て解った事は,日本語のカンバンはどうやら「誤訳」らしく,本来は『生命の起源』という国際シンポジウムなのだということであった.21世紀のはじめを記念する意味合いもあったのかも知れない.ちょうどそのときの講演者はフランスから来られた研究者ではじめの生命と見られるもののスライドを見せながらわかりやすく話をされていた.そこに適度に入場されていた聴衆も講演を楽しんでいたようだ.質問もたくさん出ていた.中には,「あわよくば自分の生命を初期化してもらえるのではないか」と思って来ていた人もいたのかも知れない.その会場の様子を見ていて,数学でも同じような雰囲気の講演会があればと思った.
数学の場合には,普通の人に「数学にはまだ何かやることがあるのですか?」と聞かれることもある.学校での学習の経験などから,数学はきちんと出来上がってしまったもの,という印象が強いのだろう.その一方で,数学を専攻している学生から,「数学は何の役に立つのですか」と質問されて,驚く事がある.つい先頃にもそのようなことがあった.とっさのことだったので,「数学はそれ自身で美しいし,古くからの文化である・・・」と答えたのだが,学生の方では何とも不審そうに見ていた.そこで,「最近は素数なども暗号に実用化され,ICカードや通信のセキュリティに重要な役割を果たしていて,現代のIT情報化社会に無くてはならないものになっている」と付け加えたところ,「その話をもっと早くに知っていたら,悩まなかったのに」と言われてしまった.
数学は数学それ自身で価値があるという考えでは古いのだろうか.学生がすべて「実用的価値」だけにしか興味が無いとは思えない.二昔前なら,「素数」などは何の実用的価値も無かったはずだし,それでも研究には全く不自由しなかったはずだ.数学に研究前から実生活上の利益を望めば,「素数」などはまっ先に消えた題材だったろう.「素数」は数学がすべて「役立つ」(正確には「役にも立つ」)可能性があること,さらには,どれが役に立つかなどは全くわからないこと,の良い例であろう.もちろん,2500年昔のイタリア南岸のクロトンに集結していたピタゴラス学校の人々が素数の有用性を考慮したとは思えない.そのおかげで,「素数」は今に伝えられてある.哲学のない実利的風土でも数学が育つのだろうか.
一般の人にも21世紀の数学を伝えたいものである.
(支部評議員 黒川信重)
6巻3号
数カ月前のことだが,他社株転換債(EB債)に絡んで不正な株価操作が行なわれた,というスキャンダルが物議をかもした. 細かい点はややこしいので略し,大雑把にいうと,EB債というのは償還時の実質価額がある株の価格の関数として変化するような債券である. そして何故かこの関数は連続関数でないことが多い. 私見によればこの不連続性こそが不正の大きな要因になっている. ごくわずかの株価の変化で発行者側の負担が大きく変化するとすれば,有利なように株価を操作しようという誘惑にかられるのは想像に難くない. ところが,この不連続性のもつ不健全さを指摘した議論には私はお目にかかれなかった(そして同様の不連続性をはらんだ金融商品は今でもあるようだ). それどころか,先物とかオプションとかの金融技術の発達によって,EB債のような商品が設計可能になった,などというコメントすらあった. 先物はもちろん,プットとかコールとかのオプション取引も,清算金額は株価の関数ではあるが連続なものであり,それらをどう組合せようともEB債のようなものはできない($\because$連続関数の合成は連続). 不連続性によるリスクも,それが引き起こす誘惑も,(少なくとも,取引所等で通常流通している類のものによるヘッジでは)消すことはできないのだ.
視野を広げてみると,制度や仕組みに存在する不連続性が人間の行動に大きな(しばしば好ましからざる)影響を及ぼす,という例は他にも沢山ある. パート労働103万円の壁,と呼ばれているものはその最も顕著なものの一つである. 現行税制の中には同様の不連続性が到るところに無数にある. それも,よく見ると,累進課税制の基本設計とか生命保険料控除とかかなり以前からある制度には不連続性があまり見られないのに比べ,近年できた制度にはやたらに目につく. 社会保障や年金に関する制度や規則も同様らしい(あるいは,もっと甚だしい). そして,そうしたチョー複雑な不連続性の数々に詳しいのが専門家の値打ちだともいう. 近頃の制度設計者はそうした不連続性をあまり気にしないようである(あるいは,ひょっとすると,それによって人々の行動が大きく影響を受けること自体に得も言われぬ快感を感じるのかな?). そういえば,「日本の官僚は優秀である」と昔はよく耳にしたが,最近はとんと聞かない.
数学は浮世離れした役に立たない学問とも思われているようである. しかし,数理的な感覚が世の中から失われたらどのようなことになるか. 科学技術のみならず,社会のインフラたるべき制度の健全性は保ち得るのか. 「数学を専攻するわけでもない学生は,決まりきった計算さえできるようになればそれでいいのだ」 と考えて教育に携わっているならば,数学者とて,その結果に対し,春秋の筆者の責めをまぬかれることはできないであろう.
藤田 隆夫(前‘数学’編集委員長)
6巻4号
通常数学辞典といえば誰しも数学会編集,岩波書店発行のものを考えるであろう.現行版は第3版であり,1985年に発行され,英訳本もほぼ同時にMIT Press から出版されている.ご存知の方も多いと思うが,第3版の改訂新版として現在第4版の出版が計画され,編集作業が進行している(英語版は今回は計画にあがっていない).この辺の事情は2000年の秋の学会で当時の松本理事長から説明があった.ここではその説明を簡単に振り返りながら,現在の状況ついて報告したい.
第3版の改訂が数学会の理事会などで問題になり始めたのは今から約6年前,1996年であった.第3版が出版されてから約10年後である.その後,いろいろ議論があり,改訂版出版が最終的に決まったのは3年後の1999年である.数学辞典は数学会の貴重な文化遺産であり,これを適宜な間隔で新しくしてゆくことが必要であり,現在はそれを行うべき時期にきているという当時の検討委員会の見解が記録に残っている.その後,編集委員会の構成などを検討する委員会が作られ,その答申があって,松本さんの説明が行われるようになった.編集委員会は理事会が選んだ常任編集委員14名と分科会から推薦された専門委員64名からなっている.常任編集委員の大多数は昨年の6月に決まり,専門委員は今年1月に全員が揃ったところである.編集委員会としては2004年9月の完成を目標としている.
第4版の大方の体裁は第3版に準じたものになる.第3版は項目数450,総ページ数1609,第4版では項目数は多少増加し,ページ数は約20%増となることを想定している.項目は専門に応じて21の部門に分けられる.部門への分け方はこれも第3版に準じている.各部門では担当の常任編集委員,専門編集委員が編集に当たる.常任委員は複数の部門を担当するが,専門委員の場合は一つに限る.項目によってはその内容が幾つかの部門と関連するものがあり,常任委員の役目の一つは部門間の調整である.
今回の改訂に当たって,特に意識している点を挙げてみよう.第3版出版以後15年以上の間に生まれた新しい理論や結果を効果的にとり入れること;読みやすく,多くの人にとって近づきやすい記述を増やすこと,特に基礎的な項目についてはその点での注意を多くすること;項目間の相互関連を重視し,相互引用の仕方に気を配ること;引用文献については総点検をすることなど,当たり前といえば当たり前のことではあるが,多人数でする事業のことゆえ高望みに終わらないような努力が要求されるであろう.
これまでの改訂にはなかった今回の改訂の特徴は,おそらく殆どの原稿が{\TeX}で書かれると予想されることである.これにより編集作業もこれまでより容易になるであろうし,また何らかの電子媒体の形で辞典本体に付録がつけられる可能性がある.さらに,将来改訂第5版を計画するときの便宜も大きいと思われる.
この稿を書いている時点では,取り上げる項目やそれに割り当てるページ数も最終決定には至っていない.予定では,執筆依頼を今年7月までには全部済ませることにし,原稿締切りを今年末に設定している.将来執筆を引き受けていただく方には,その期間内に原稿を仕上げていただくよう予めこの場をかりてお願いしたい.
(数学辞典第4版編集委員長 服部晶夫)