日本数学会の出版物

巻 頭 言

4巻1号

江戸時代の和算家建部賢弘(1664 ー1739)に,『綴術算経』(1722年)という本がある.この本にはいろいろ興味あるテーマが取上げられているが,その中に球の表面積を求める話がある.直径 d,半径 r の球の体積 V = V(d)が,

(1) V =(1/6)πd^3 = (4/3)πr^3

で与えられることは,既に建部の先生である関孝和(1640? -1708)が,『括要算法』重巻 (1712年刊行,1680年完成)で求めていた.そこで建部は,これから球の表面積を計算して見た.V (d + h) - V (d)は厚さ h の球殻の体積であるから,それを厚さ h で割ったものは,球の表面積の近似値となる.そこで建部は,d = 1尺,h =10^{-3}, 10^{-6}, 10^{-9} 尺の場合の商(V(d + h) - V(d)) / hを計算し,
3.14473529344 強, 3.14162406984 強, 3.14159296775 強(平方尺)
を得た.ここに表われる数字が円周率の近似値であることから,建部は球の表面積 S = S(d)は

(2) S =πd 2 = 4πr2

であると結論し,このことを師の関孝和に報告した.その時関は次のように考えれば直ちに(2)が得られると教えた.それは球を,中心を頂点とし高さが半径 d /2 = rの(無限小の)錐体の集まりと考えれば,錐体の体積=(1/3)×高さ×底面積 だから,球の体積 V と表面積 Sは

(3) V = (1/3) r S = (1/6) d S

という関係が成立つので,(1)と(3)から直ちに(2)が得られるのであった.これを聞いて 建部は関と自己の相異を痛感したという意味のことを書いている.
ところで関より前に,ケプラーは1615年に出版した『葡萄酒樽の立体幾何学』の中で 「球は,その中心に頂点を持ち,底面が球面上の点であるような円錐状の立体が無限個集まったものである」とし,それから球の体積 V と表面積 S に関する関係式(3)を得ている.
そしてケプラーは,関とは逆に,S の公式(2)から,V の公式(1)を得た.
さらに遡って,紀元前3世紀の数学者アルキメデスは,その著『方法』(詳しくは『エラトステネスに宛てた機械学的な定理についてのアルキメデスの方法』)の命題2において,次の二つの定理(A),(B)を証明している.

(A) すべての球(の体積)は,球の大円に等しい底面と,球の半径に等しい高さを持つ円錐(の体積)の4倍である.

(B) 球の大円に等しい底面と,球の直径に等しい高さを持つ円柱(の体積) は,球(の体積)の 3/2倍である.

この命題を証明した後で,アルキメデスは,(A)から「球の表面(積)は,大円の(面積の)4倍である」ことが導けることを注意している.「それは,すべての球は,底面としてその球の表面を持ち,高さが球の半径に等しい円錐に等しいからである」と言っている.
関は勿論ケプラーもアルキメデスも知らなかったが,同じことを考えたわけである.

(杉浦光夫)

4巻2号

人のできることは結局のところ生命・文化その他の継承・伝達でしかない,とおもっている.いかに良く受け継ぎ,可能ならばその個人の創造性等を付与して,いかに良く次の世代・時代に渡そうとするかということに,人は努力しなくてはいけない.それが人としてこの世に生まれたものの責任だ,と思っている.

‘数学’編集委員長を引き受けた時から止める時のことを考えていた.自分の主宰する時期は単なる通過点でしかなく,いかに受け継ぎ・受け渡すかといることを考えた.かつて常任編集委員であったことがあり,その当時の資料を二度の研究室の引っ越しにも拘わらず何故か保持してきたので,それを含めて以前の‘数学’を見直し,何ができるか考え,どの時点で引き渡すかに思いを巡らせた.1年後に止めることは叶わず,2年が過ぎ,いろいろなことがあったが一応の責任は果たせたのではないか,と思っている.

私の専門とする話に,ニジ(敢えて片仮名書)に関することがある.最近,民族学的研究資料としてニジに関するもの,「銀河の道 虹の架け橋」と題するものが出版された.
各民族で吉凶の捉え方が違ったり,指差しではならないというタブーがかなり共通だったり,どうして発生するかについていろいろなニジの捉え方があったりするという.

語源の本にも次のようなことが書いてある.ニジを表す漢字になぜ虫偏が付いているのか.中国の古人が,何か動物が吐き出した気が変じてできるものと考えたからだそうだ.
そう信じ,動物化して竜の一種だとし,その雄を虹(コウ)といい,雌を虫兒(ゲイ:二字だが一字と見なすこと)と呼んだそうだ.通常は主(或は第一の)虹といわれるもの一つしか見えないように思うが,時には,色の配列が逆になった副(或は第二の)虹とよばれるもう一つのものが見えることがある.主虹を雄とし虹(コウ)といい,副虹を雌として虫兒(ゲイ)といったそうである.このような捉え方は科学的ではないが,私も空想の世界が本当に好きなのか面白いと思う.(実は過剰虹等ほかにも見えるものがある.また,主虹と副虹の間は暗い,など観察すると面白いことが多い.)

一方で科学的でなくてはならないとの思いもある.ニジの科学的研究は,百科事典等によれば,アリストテレス(太陽の反対側にある水滴が鍵),ビエロ(水滴による光の屈折による説明),F.ベーコン(前者と同じこと及び,水滴の集まりが鏡のような役割をすると説明),ドミニス(水滴による光の屈折と反射による説明),デカルト(屈折の原理による説明),ニュートン(光の屈折率の違いによる分光の実験),エアリ-(過剰虹,雨粒の大きさと虹の関係)などあり今日でもすべてが明らかになったわけではない.過剰虹に関しては,エアリーの仕事の後,ストークスが,エアリー積分を,拡張された複素平面上の,無限遠点に不確定特異点をもつ,微分方程式の解として捉え,その漸近挙動を計算することにより決着させた.それは同時に,今日ストークス現象といわれることの発見でもあった.

今ニジが物理的に説明される光学現象であることをほとんどの日本人が知り,言い伝えやタブーには支配されないのは,科学教育の成果であると認めてよいであろう.数学などの科学に留まらず,日本の教育・研究が,さらに,社会が,良い継承・伝達のシステムをもつことを望みたい.

真島秀行(前‘数学’編集委員長)

4巻3号

学会の最中自分の大学の崩壊を名指しする記事に出会い,怒りと同時に弱肉強食の事態が迫っていることを実感した.
Allan Bloomは「The closing of the American mind」(1987)で,現代アメリカの精神的空洞化を大学教育の立場から警告した.「現代の一般大衆がより高い教育を受けているという印象は,教育という用語の多義性,もしくは一般教養教育と専門教育という区別のいい加減さから生じた印象にほかならない.コンピュータ技師は専門的には高度の訓練は受けていても,道徳,政治,宗教については必ずしも知識があるとは限らず,その点では無学の人々と何の変わりもない.いやそれどころか,教育が狭いだけに偏見や自尊心がともないやすいし,その折々に流行している学問の前提を無批判に受け入れた代物に過ぎない以上,彼らは素朴な庶民がさまざまな伝統の源泉から吸収している一般的教養から遮断されかねないのである.」と言い「リンカーンのような若者が自己教育を目指すとき,すぐ手に入り,学習に役立つとはっきりといえた書物は,聖書であり,シェクスピアであり,ユ-クリッドであった.(中略)現在の学校制度は,市場の需要の原理以外,重要なものと重要でないものとを区別する手段さえまったくもたないのではないか.」と警鐘を鳴らした(日本語訳は菅野盾樹訳「アメリカン・マインドの終焉」(みすず書房)による).
いま,これを単なる古典的教養主義だと片づけることはできない.大学設置基準の大綱化に始まる教養部の解体,教員養成系大学・学部での学生定員5000人削減による大学・学部の縮小,さらに国立大学の独立法人化への策動により,教育・研究は市場の原理と競争の原理の僕となり,精神的空洞化が一層加速されかねない状況に直面している.
「自由の砦であった大学は,かっては社会から孤立することで,逆に社会に貢献してきた.だが,今や大学は社会の要求をそのまま受け入れている.」という指摘はさておき,パックス・アメリカーナ的選択が賢明だとはとても思えない.教育の将来に大きな禍根を残す大問題が,経済的効率化という錦の御旗で,いとも簡単に通り過ぎようとしている.
地方国立大学が地方で果たしてきた役割を考えたとき,その崩壊は地方の文化と価値の崩壊を意味すると言っても過言ではあるまい.地方の数学者達は,国立であるが故に,学校教育に関わってシンクタンク的役割を期待され,地方文化の担い手ともなってきた.特に,教員養成系の数学者達は極めて貧弱な教育・研究環境にあって,地方に根を張りながら,それぞれの仕方で数学文化を支えてきたといえよう.
算数や数学は市場原理や効率化から最も遠い.国立の存在すら脅かされる競争原理の時代に,数学を支える伝統と価値が今後も継承される保証などどこにもない.すでに,算数・数学の時間数は減らされてきている.「重要なものと重要でないものの区別する手段さえまったくもたない」という警鐘は重い.算数や数学は手続きや理解に時間がかかる.確かに,効率は悪い.しかし,わかるのに時間がかかる教科に時間をさくのは当然である.そのことを犠牲にして,発達のどの段階でも,すべての教科を配置する教科平等主義が正しいとはとても思えない.
いま進行しつつある深刻な事態を初めとして,自明なことが自明で済まされない現実があまりにも多い.これらの不条理にどう立ち向かうのか,教育者としての数学者への期待と責任は大きい.

(支部評議員 黒木哲徳)

4巻4号

ついに西暦2000年になった.1999年の次が2000年であることはとくに驚くにあたらないが,千の位が変わることはやはり稀有な体験である.千年紀の節目に過去千年を振り返り,新しい千年を展望するようなことが書ければ良いのだが,あいにく,そのような気宇壮大な精神を持ちわせていない.
遠い昔に想いを馳せるとしたら,進化論の本がよさそうだ.たまたま手許にあるグールドの「ワンダフル・ライフ」という本を開いてみると,約5億年前のカンブリア紀に栄えた珍しい生物について書いてある.それらのうちのどれかの種が現生人類にまで進化したのに違いない.しかし,グールドは劣ったものから優れたものへという19世紀的な進化観を戒めている.彼によれば「生命はたくさんの枝を分岐させ,絶滅という死神によって絶えず剪定されている樹木なのであって,予測された進歩の梯子ではない.」人類までの進化も単なる進化の偶然に過ぎないというのである.だとしたら,人類が過去に絶滅していても不思議はないし,将来も,何かの原因で絶滅しないとも限らない.
科学・技術の進歩も生命の進化に似たところがある.科学史を紐解いてみれば,歴史を変える大発見が全くの偶然からなされた例は枚挙に暇がない.しばしば,生命全体は一本の樹木にたとえられるが,科学・技術の全体を樹木にたとえることも可能であろう.さしづめ,数学などの基礎科学は根っこや幹に相当するのだろう.見て美しい葉や枝は応用分野の科学だろうか.果実はわれわれの生活に直接役立つ科学技術の成果といったところだろう.美味しい果実を味わいたいのはやまやまだが,果実だけに肥料をやってもしかたがない.良い果実を収穫するためにも,樹木全体に養分を行き渡らせ元気に育てなければならないと思う.
昨年12月,谷口財団70年の歴史を閉じる記念イベントが大阪で催され,出席して来た.谷口財団はわれわれ数学者も大変お世話になった財団であるが,創立者の谷口豊三郎氏は,財界人ながら基礎科学に多大のシンパシーを持ち,「数学者や理論物理学者を同じレベルの人間として扱ってくれた」そうである.これは,秋月康夫,岡潔の両数学者と三高(旧制第三高等学校)以来の交友関係があったことの影響が大きいという.しかし,そればかりでなく,科学を全体として発展させることの重要性を理解していられたのではないだろうか.記念イベントの際に配布された「谷口財団70年のあゆみ」という本に,1929年に発足した谷口工業奨励会を拡充し,国際シンポジュームの開催を柱とする財団に改組する際に発表された「財団の改組,拡充,強化について」という谷口氏の文章(抜粋)が載っている.それを読むと,1970年前後に始まった日米繊維交渉の過程で国際的な相互理解の重要さとむずかしさを痛感したことが,国際シンポジュームの開催を援助する直接の動機になったと書かれている.谷口氏はある席上で「真に理解しあえる一組が生まれるなら,1億円など安いものです」と語ったそうであるが,この言葉に,谷口氏の,近視眼的でない徹底した合理的精神を感じた.
最近,行政改革の一環として,国立大学を独立行政法人化する話がにわかにやかましくなっているが,目先の合理化の観点から,将来の科学・技術のありようを左右する大変革がなされて良いものだろうか.5年毎の中期目標を策定する主務大臣や評価委員会の人達が,成果を急いで金の卵を生む鵞鳥を殺してしまったというイソップ寓話の主人公のような人達だったら一体どうなるのだろう.

(理事長 松本幸夫)