横浜市立大学の改組について

横浜市立大学における数理科学の教育について(理事長による要望書)

平成16年5月25日

横浜市長 中田 宏 殿
横浜市立大学 最高経営責任者 孫福 弘 殿
文部科学大臣 河村 建夫 殿
日本学術会議会長 黒川 清 殿

横浜市立大学における数理科学の教育について

 現在、横浜市立大学理学部には数理科学科があり、教員11名で学生定員30名の教育を行っています。学科の規模は日本の数学系学科の中では小規模ですが、受験生の人気は理学部の学科の中でも高く、英文専門誌 Yokohama Mathematical Journal を発行し、卒業生は教育界や実業界などで全国的に活躍しています。

 さて、横浜市立大学は横浜市と連携して大学改革を検討しており、平成15年10月22日に開催された臨時評議会で「横浜市立大学の新たな大学像について」を採択しました。ところが、平成16年3月25日横浜市大学改革推進本部事務局が発表した「国際総合科学部(仮称)コース・カリキュラム案等報告書」では、上記の横浜市立大学の改革案にあった国際総合科学部理工学府の数理情報コースが外され、数理科学の体系的な教育が横浜市立大学からなくなろうとしています。私は、この決定は数理科学(広い意味での数学)に対する理解不足から来るものであり、再考が必要ではないかと考えます。

 日本の数学者は従来、数学が世の中の生活に役立っていることを、余り強調して来ませんでした。しかし、ニュートン力学には微分積分学が必要不可欠であり、電磁気学にはベクトル解析が必要であり、量子力学にはヒルベルト空間論が必要であり、相対性理論には非ユークリッド幾何が不可欠なように、科学の研究と応用には数学が欠かせません。経済を始めとする文系の学問にも、数学がよく使われます。最近の例を上げると、情報科学の基礎は数学の基礎とほぼ同じであり、情報通信に使われる暗号などには代数学の高度な知識が使われており、伊藤清が構築した確率微分方程式の理論が金融工学に使われております。この様に、数学は科学が進歩した現在社会の不可欠な基礎となっています。また、数学の証明とコンピューターのプログラムが構造的に類似しているため、数学の専門教育を受けた人は、ほんの少しプログラム言語の勉強をすると非常に優れたプログラムが書けるのが普通であり、電機業界やソフト業界では数学系の学科を卒業した学生が数多く活躍しています。その他、将来予測、品質管理などには統計学の知識が不可欠なため、卒業生の一部は、保険や年金の設計や管理、メーカーの生産現場などでも活躍しています。

 私は、新しい横浜市立大学が掲げる「発展する国際都市・横浜とともに歩み、教育に重点を置き、幅広い教養と高い専門的能力の育成を目指す実践的な国際教養大学」との理念に賛成致します。しかしそのことを実行するためには、「科学を語る言葉である」数学の充実した教養教育が不可欠であり、また、中田市長が掲げる「横浜の特性を活かし、今後の成長が期待されるバイオ関連産業や IT 産業の育成支援に取り組む」ためには、数理科学の体系的な教育が不可欠であると考えます。

 ナノテクノロジー、バイオ、IT のような成長著しい産業では、5年も経つと技術革新により必要とされる技術は一変します。大学での教育では基礎をきちんと教えることが重要で、「即戦力」を強調し過ぎると、教えられた知識はすぐ役に立たなくなります。時代の脚光を浴びる産業は次々に変わりますが、卒業した学生は40年程度働かなければなりませんから、教育の設計には長期的な視野が不可欠です。なお基礎的な学問は、多くの分野に応用が効き、時代の求めに柔軟に応じられることも指摘しておきたいと思います。

 設置者である横浜市が、横浜市立大学に地域貢献を求めることは当然です。しかし、その他にも忘れてならないことがあると思います。大学教育の質が上がれば上がるほど、学生は全国から集まる様になるのが普通です。その様な場合、横浜市から見ると、他地域に住む子弟の教育のために財政負担をしているように思えるかも知れません。しかし、4 年間横浜市で学習した影響は大きく、彼らは日本各地に分散した後、横浜市のスポークスマンとしてその地で活躍し、横浜市のステータスを上げると共に、観光面や経済面でも横浜市に貢献すると私は思います。

 私は、横浜市が充実した教育を行う大学を持つためにも、IT 産業の育成を行うためにも、さらに全国的なステータスを高く保ち、観光や経済面でメリットを受けるためにも、新しい横浜市立大学において数理科学の教育を重視することを訴えたいと思います。

日本数学会 理事長 森田康夫