2004年度秋季記者会見について

広報委員会

2004年度秋季記者会見について

北海道大学における2004年度秋季総合分科会に先立ち、定例の記者会見を行いました。
記者会見でおこなった主な発表は
  1. 2004年度数学会賞発表とその業績について
  2. 2004年度建部賞の発表
  3. 2004年度解析賞の発表とその業績について
  4. 2004年度幾何学賞の発表とその業績について
です。

1.数学会秋季賞の発表とその業績について

受 賞 者:
新井 敏康 (神戸大学大学院自然科学研究科 教授)
受 賞 業 績:
Hilbert の第2問題に関する証明論の展開

新井 敏康氏「Hilbert の第2問題に関する証明論の展開」業績紹介

  数学が扱っている実数のような超限的な対象の存在はどのようにして保証すれば良いのだろうか。この問題に対して、 ヒルベルトはまず超限的な対象に関わる性質を公理として形式的に表現し、つぎにこうして得られた形式体系の無矛盾性を証明 すればよいと考えた。彼はこの研究への最初のステップとして「算術の無矛盾性を証明せよ」という問題を提起した。これは ヒルベルトの第2問題とよばれるが、現在ではこれは「実数論の無矛盾性を証明せよ」という問題であると理解されている。

  1931年ゲーデルは不完全性定理を証明し、ヒルベルトが当初考えていた「有限の立場」の範囲内で無矛盾性の証明を おこなうことはできないことを明らかにした。他方、ゲンツェンは1936年にヒルベルトの「有限の立場」を少し緩め、ある順序数までの 超限帰納法を認めることにより、自然数論の無矛盾性の証明に成功した。さらに竹内外史はより大きな順序数を記述する方法を開発し、 ゲンツェンの方法を拡張することによって実数論の部分体系の無矛盾性の証明をあたえ、ヒルベルトの第2問題に対する証明論を つぎの段階に進めることに成功した。

  新井氏がそれまで暖めてきた証明論に対する彼の構想の全貌を明らかにしたのは7年前である。それは、実数論に留まらず 全数学を含む集合論の無矛盾性証明を与えようという壮大なものであった。新井氏は、集合論に最小限どれだけの帰納的論証法を 付加すれば無矛盾性の証明が完結するのかという問いかけから出発し、超限帰納法ないし帰納的定義の整礎性を拠り所にすれば、 集合論そして数学全体の整合性に対して数学者が抱いている信念を最も合理的な形で保証できると考えた。具体的には、公理論的集合論で 現在盛んに研究されている巨大基数についてその帰納的類似物であるような順序数を考え、その順序数までの超限帰納法を仮定することによって 対応する集合論の無矛盾性を示そうというのである。

  実際この数年間に発表または発表予定の一連の論文の中で、新井氏はそれらの順序数のうちの一つである反映的順序数をモデルに持つ 集合論について、その無矛盾性の証明を含む証明論の構築に成功している。このような研究の進展は証明論の研究者が予想もしなかった 驚くべきものであり、これらの結果はヒルベルトの第2問題に関する研究における真の意味でのbreakthroughと考えられる。しかしこれらの結果の 重要性が本当に認識されるまでにはさらに年月を要するのであろう。

  これらの新井氏の研究の源にあるのは、人間が長い間かけて構築してきた数学および数学の整合性に対する深い信頼であり、新井氏の仕事は、 その信頼を究極的な形で数学的に表現するという数学基礎論本来の問いかけに対する最も先端的な道を切り開いたといえる。このように、 新井氏はヒルベルトの第2問題に関する証明論において多大な貢献をするとともにこれからの数学基礎論の研究に対する新たな展望をあたえた。

  以上のように、同氏の研究業績は顕著なものであり、2004年度日本数学会賞 秋季賞を授与するにふさわしいものであります。

2.2004年度建部賞の発表

2004年度数学会賞建部賢弘賞特別賞(3件)

石田政司(上智大学理工学部助手)
受賞題目:安定ホモトピー Seiberg-Witten 不変量の4次元多様体の幾何への応用
谷内 靖 (信州大学理学部助手)
受賞題目:流体力学の基礎方程式の解析
荒川知幸(名古屋大学大学院多元数理科学研究科COE研究員)
受賞題目:Frenkel-Kac-Wakimoto 予想の解決

2004年度数学会賞建部賢弘賞奨励賞(6件)

黒田 茂 (京都大学数理解析研究所学術振興会特別研究員PD)
受賞題目:不変式環の組合せ論的研究
古庄英和(名古屋大学大学院多元数理科学研究科助手)
受賞題目:p 進多重ゼータ値の研究
砂川秀明(筑波大学大学院数理物質科学研究科助手)
受賞題目:非線型 Klein-Gordon 方程式系の解の漸近挙動の研究
保坂哲也(宇都宮大学教育学部講師)
受賞題目:無限 Coxeter 群と CAT(0) 空間の研究
高橋 亮 (岡山大学理学部学術振興会特別研究員PD)
受賞題目:Cohen-Macaulay 環のホモロジー代数的研究
中村拓司(大阪市立大学数学研究所COE上級研究所員)
受賞題目:正結び目の性質と結び目の標準的曲面の研究

3.2004年度解析賞の発表とその業績

赤平 昌文 (筑波大学数学系 教授)
受賞業績  「統計的推定の高次漸近理論」
岩崎 克則 (九州大学大学院数理学研究院 教授)
受賞業績  「多面体調和関数とパンルベ方程式の研究」
西田 孝明 (京都大学大学院理学研究科 教授)
受賞業績  「非線形偏微分方程式の解の大域構造の解析的研究」

赤平昌文氏「統計的推定の高次漸近理論」業績紹介

赤平昌文氏は統計数学の推測理論の分野において、特に統計的推定の高次漸近 理論の構築や非正則推測論の確立等の顕著な業績を挙げてきた。

統計的推定の理論においては標本の大きさが無限大となる漸近理論が重要であ る。特に最尤推定量が漸近分散を最小にする意味で一次漸近有効であることは 古くから知られていた。1970年代の後半から赤平氏は竹内啓氏と共同で、漸近 展開の手法を用いた統計的推定の高次漸近理論に着手し、世界の他のグループ と先を争う形で高次漸近理論を構築した。そして各種の正則条件が満たされる 場合の高次漸近理論をほぼ完成することに成功した。その主要な結果は、

  1. 1次漸近有効推定量は2次漸近有効である、
  2. 中央値不偏となるように修正された補正最尤推定量は3次漸近有効である、
  3. 3次漸近有効推定量は4次漸近有効である。

これらの結果は、国際的にも注目を集めた甘利俊一氏らの 高次漸近理論への情報幾何学的アプローチにも大きな影響を与えた。

さらに赤平氏は確率密度関数の微分可能性等の正則条件が満たされない場合に おける、統計的推測の高次漸近理論の手法を確立した。特に2つの1次漸近有 効推定量を比較する基準として、同等の推定精度を得るための標本数の差に対 応する欠損量の概念に注目した。そして両側指数分布等の非正則な分布におけ る1次漸近有効推定量の標準欠損量を求めることに成功し欠損量の概念の有用性 を示した。

これらの精緻な諸結果は解析学的手法を駆使したものであり、 同氏の業績は解析学賞にふさわしい。

岩崎克則氏「多面体調和関数とパンルベ方程式の研究」業績紹介

岩崎克則氏は,解析学に端を発し代数学や幾何学と密接に関係する問題に対し,その問題の深い数学的構造を見出し, 明示的公式として表現するという仕事を積み重ねている.特に,多面体調和函数とパンルベ方程式に関する研究において著しい成果を挙げてきた.

 調和函数は平均値の性質をもつ,すなわち球面平均がその球面の中心における函数値と一致する連続函数として特徴づけられる.球面ではなく, 与えられた多面体に関する平均値の性質をもつ連続函数を「多面体調和函数」と総称する.1962年にA. フリードマンとW. リットマンは多面体調和 函数全体のなす空間は有限次元か,という基本問題を提出した.これに対し岩崎氏は,偏微分方程式論,多面体の組合せ論,群の不変式論などを 用いて,肯定的な解答を与え,さらに次元公式を含む多面体調和函数の構造について多くの深い結果を導いた.

 P. パンルベが見出した動く分岐点をもたない二階有理的常微分方程式に関する体系的研究は,我が国で盛んに行われ優れた結果が蓄積されてきた. 岩崎氏は,近年その第VI方程式の非線形モノドロミーがモジュラー群の複素3次曲面への保測的な作用として書き下せることを示した.さらに, 稲葉道明,齋藤政彦両氏と共同で,ベックルンド変換群のリーマン-ヒルベルト対応による特徴づけを与え,また相空間を安定放物型接続の モジュライ空間として構成することで,パンルベ第VI方程式の幾何学的基盤を整備し発展させた.岩崎氏の貢献は,第VI方程式の解の振る舞いの 研究を,ある超越的なリーマン-ヒルベルト対応を経由して,簡単な2次元複素離散力学系の研究に帰着させたことである.この結果,方程式の 特徴的な性質が自然にかつ正確に理解できるようになった.その意義は極めて大きく,同氏の業績は解析学賞にふさわしい.

西田孝明氏「非線形偏微分方程式の解の大域構造の解析的研究」の業績紹介

西田孝明氏の最近の業績の特徴は非線形偏 微分方程式の解の大域構造の数学解析に計 算機援用証明の方法を本質的かつ本格的に 用いたところにある。同氏は、80年代には 既に様々な非線形偏微分方程式に関する数 多くの業績を上げておりその名は世界的に 認知されていたが、従来の多くの結果が、 自明解や特殊解の周りからの小擾乱解につ いてのものであったことに満足せず、大振 幅擾乱の解にも適用できる解析手法を模索 していた。

転機は、80年代末に故山口昌哉氏 との共同研究において、シナイとヴァルの1980年の論文 に出会うことから訪れた。 即ち、シナイとヴァルのアイデアを、ダフィン方程式等を 例に含む常微分方程式系に具体的に適用すべく、 方程式の近似の議論を工夫するとともに、 吉原英明氏と区間演算による精度保障付きの 数値計算プログラムを開発し、 打ち切り誤差、丸め誤差等の評価と存在条 件の検証を計算機内で実現し、様々な非自明周期軌道 の存在を解析的に証明することに成功した。 その後、非線形偏微分方程式系においても、 その分岐現象の解析が常微分方程式の固有 値問題に帰着できる場合 に同様の議論を適用し、 自明解からの定常分岐やホップ分岐の存在、 臨界パラメータでの自明解の不安定化等に ついて計算機支援による数学的証明を 次々と成し遂げた。

21世紀に入っては、解の 大域構造を解析すべく、 九州大学の中尾充宏氏のグループと共同し、 計算機で求めた近似解を与える毎に、 シャウダーの不動点定理を適用できる近傍 の構成を計算機内で実現することに成功した。 これによって、自明解から大きく離れた解を含む 様々な定常解の存在証明を計算機援用 の下数学的に与えることが可能となった。 これらの計算機援用の解析手法は、 より詳しい大域構造の解析において 将来の発展が大きく期待されるものであり、 同氏の業績は解析学賞にふさわしい。

4.2004年度幾何学賞の発表とその業績

納谷 信(名古屋大学大学院多元数理科学研究科助教授)
授賞業績: 実および複素双曲空間の理想境界における不変計量の構成
鎌田 聖一
授賞業績:「2 次元ブレイドおよび4 次元結び目理論の基礎の構築」

納谷 信氏「実および複素双曲空間の理想境界における不変計量の構成」の業績紹介

実双曲空間の等長変換は,その理想境界である球面上へ自然に拡張され,球面の標準的 計量に関する共形変換となります.したがって,実双曲空間の等長変換群の離散部分群で あるクライン群は,球面の共形変換群の離散部分群とみなすことができます.

クライン群の作用が固有不連続であるような極大開集合はクライン群の不連続領域とよ ばれ,不連続領域の商空間としてえられる共形的平坦なリーマン多様体をクライン多様体 といいいます.納谷氏は,この不連続領域にクライン群の作用で不変な,かつ球面の標準 的共形平坦構造に属する対称性の高いリーマン計量(この不変計量は納谷計量とよばれて います)を構成し,この計量をもちいてクライン多様体に対する精密なコホモロジー消滅 定理を証明しました.

この不変計量は,クライン群の極限集合(不連続領域の補集合)上のパターソン・サリ バン測度(クライン群の作用に関してよい保型性をもつ測度)と,球面の共形ラプラシア ンのグリーン関数をもちいて球面の標準計量を共形変形することにより構成されます.そ の結果,この不変計量の曲率に,クライン群の極限集合の形状やクライン群の作用の大き さ,例えば臨界指数(幾何学的に有限なクライン群の場合,臨界指数は極限集合のハウス ドルフ次元に他ならない)が敏感に反映され,クライン多様体の微分幾何的性質を調べる ためだけでなく,クライン群を微分幾何的に研究するための基本的道具となっています. 納谷氏は,これらのアイディアを複素双曲空間の正則自己同型群の場合に拡張し,不連 続領域の強擬凸CR 構造に関する擬エルミート幾何学を通して,離散部分群の研究を展開 しています.

納谷氏のこれら一連の研究は,離散部分群の研究における微分幾何的研究の可能性を大 きく広げたものであり,幾何学賞に相応しい業績であります.

鎌田 聖一氏「2 次元ブレイドおよび4 次元結び目理論の基礎の構築」の業績紹介

古典的な結び目やブレイドは,3 次元空間の中の1 次元オブジェクトであり,可視化可 能な幾何学的対象であることから,これまで豊富な研究蓄積があり,また現在も活発な研 究活動が続いています.

一方,次元を一つ上げた4 次元空間内の2 次元オブジェクトである4 次元結び目は,1920 年代のアルティンの研究までその起源を辿ることはできるものの,1980 年代後半に至るま で,その研究手法は確立していませんでした.

鎌田聖一氏の業績の源は,1990 年にビロにより示唆された,「古典的結び目がブレイド で表示できるという事実は,分岐被覆を使えば曲面結び目に適応可能だろう」というアイ デアにあります.

鎌田氏は,まず2 次元ブレイドを,4 次元空間の中の4 次元結び目で,2 次元平面へ射影 したとき適当な条件をみたす分岐被覆になるものとして定義し,分岐被覆の様相をチャー ト図式とよぶ平面上の付加情報付グラフとして定式化しました.

そのもとで,古典論における,任意の結び目がブレイド表示可能というアレキサンダー の定理と,同じ結び目を表す図式の間の関係を記すマルコフの定理に対応する事実が,4 次元結び目でも成り立つことを示しました.これらの結果により,4 次元結び目の研究は チャート図式を使って普遍的に議論することが可能になりました.

2 次元ブレイドと4 次元結び目を平面上の図式として扱う基礎を構築したという業績は, 1980 年代半ばのジョーンズに始まる古典的結び目の不変量やその後の3 次元多様体の位 相不変量の研究が,類似の定式化を根拠にしていたことを考えれば,大変重要であること は明白です.

実際,鎌田氏による定式化が4 次元結び目の研究に大きな変革をもたらし,この10 年 の間に当該分野の研究が飛躍的に増えてきました.こうした状況は,鎌田氏の業績がいか に基本的であったかを示すものといえます.