2018年度日本数学会賞春季賞

2018年度日本数学会賞春季賞

木田良才(東京大学大学院数理科学研究科)
離散群とエルゴード理論の研究

木田良才氏は測度群論の研究を牽引する世界的なリーダーの一人であり,特に写像類群の測度群論的剛性定理は当該分野における金字塔であるといえます.写像類群は多方面からの深い研究がなされている重要な数学的対象ですが,木田氏の剛性理論は氏の別の業績である写像類群の仲間(トレリ群など)に対する幾何群論的剛性定理と合わせて写像類群とその仲間の研究に新たな地平を開くものとして世界的に極めて高く評価されています.木田氏はより最近はフォンノイマン環の分類問題や測度群論における群の安定性の研究に取り組み,多くの成果を挙げています.

測度群論は与えられた群の性質を測度空間への保測作用を利用して調べる分野です.こうした問題意識はvon Neumannの時代からありましたが,近年になって測度群論は独立した一分野として認識されるようになり,M. Gromovによる呼びかけなどもあって,幾何学,リー群論,作用素環論などの複数分野から有力研究者(例えばA. Furman, D. Gaboriau, N. Monod, S. Popa, Y. Shalomなど)が参入し,急速に発展しました.この分野の中心的課題は離散群の間の測度同値と呼ばれる同値関係を理解することにあります.測度同値は群同型を大幅に弱めた概念で,例えば可算無限従順群(特に可解群)は全て互いに測度同値となります.また,同じ局所コンパクト群の格子として実現できる群も互いに測度同値です.木田氏の初期の重要な業績は測度同値関係に対する剛性定理です.すなわち,(いくつかの明らかな例外を除いて)各写像類群の測度同値類が本質的に(つまり有限指数の差を無視すれば)それ自身のみから成るという定理を示しました.このような測度同値に関して剛的な群の例は,世界中の研究者たちが捜し求めていた‘聖杯’ともいうべきものでしたが,木田氏の証明した写像類群が初めての例となりました.なお,写像類群以外の剛的な群の例は木田氏がその後発見した(共同研究を含む)いくつかのものが現時点で知られている全てです.そもそもリー群の格子など(例えばSL(n,ℤ)など)の測度群論的側面の研究はG. MargulisやR. J. Zimmer以来それまでも盛んに行われてきましたが,写像類群のようなそれ自体取扱いが困難でミステリアスな群に対して測度群論的側面の研究を行ったのは木田氏が初めてです.剛性定理の証明はN. V. Ivanovによる曲線複体の剛性定理(曲線複体の自己同型群は写像類群に一致する)を測度群論のレベルに昇華するという大変に技術的難度の高いもので,こうした大胆な構想を練る独創性とそれを実現する粘り強さは特筆に値します.またこの理論の副産物として,写像類群が境界従順であること,従って位相幾何学における疎Baum--Connes予想及び強Novikov予想を満たすことを示しています(同時期にU. Hamenstädtも別の方法でこれを示している).この手法は汎用性も高く,例えばごく最近Bestvina--Guirardel--Horbezによって応用されOut(Fn)が境界従順であることを示すのに使われています.木田氏の剛性理論は他にも,群の格子理論,記述的集合論,作用素環論などに他の方法では得られない多くの応用があり,極めて影響力の大きいものです.

木田氏の業績には他にも,曲線複体の類似物に対する剛性定理とその応用(一部山形氏との共同研究),上述の剛性理論のフォンノイマン環の分類問題への応用(I. ChifanやA. Ioanaとの共同研究),Baumslag--Solitar群の測度同値類の研究,測度群論における群の安定性の研究など多岐にわたって重要なものがあります.特に木田氏が最近注力している安定性の研究では,安定性は内部的従順性(こちらは通常の群の概念でよりよく理解されている)と同値ではないかというV. F. R. JonesとK. Schmidtによる1987年の問題に決定的な反例を与え,引き続く仕事で安定性の研究がより豊かなものであることを示しています.このようにして木田氏は測度群論の研究における新たなフロンティアを提示し,現在その第一線で活躍しているところです.

日本数学会
理事長 小薗 英雄