2023年度日本数学会賞春季賞

2023年度日本数学会賞春季賞

入江 慶(京都大学数理解析研究所)
接触幾何学,シンプレクティック幾何学とストリングトポロジーの研究

接触構造,シンプレクティック構造は,幾何光学や古典力学のハミルトン形式などに現れる幾何構造で古くから関心が持たれてきた.その大域幾何学的研究の萌芽はいろいろあったが,爆発的な進展は1980年代に入ってからであった.特に,Rabinowitz,Conley–Zehnderのハミルトン力学系の周期解の変分法的研究やGromovによる擬正則曲線の理論の創始とその応用,Floerによるそれらの融合ともいえるFloer理論の創始があり,それに続く研究が進捗している.

入江慶氏はこの分野で特筆すべき業績を挙げ,注目されている若き研究者である.今回の授賞理由の1つは,3次元閉接触多様体上のReeb流に対する 𝐶-closing lemmaの証明である.“closing lemma” は21世紀に向けてSmaleがまとめた18の問題の10番目にも取り上げられている問題で,‘閉多様体上の滑らかな微分同相写像が非遊走点を持つならば,その滑らかな摂動でその点を周期点とするものが存在する’ ことを主張する.Pughにより 𝐶1-版は分かっているが,現時点で未解決である.また,高次元の 𝐶-ハミルトン版は成立しないことがHermannによって明らかにされている.入江氏は,3次元接触形式のECH容量の系列から体積が決定される事実 (volume property) に基づき,接触形式の 𝐶-摂動によりReeb流の閉軌道達が接触多様体全体で稠密にできることに鮮やかな証明を与えた.それから3次元Reeb流の 𝐶-closing lemmaが導かれる.更に,浅岡正幸氏との共同研究で,有向閉曲面のハミルトン微分同相写像に対しても同様の結果を得た.引き続き,結果の精密化や,Reeb流のclosing lemmaが成立するからくりからclosing lemmaの主張が成り立つ接触形式の十分条件を抽出するなどの成果を挙げている.入江氏の論法は,全く異なる状況でも適用された.閉Riemann多様体内の極小超曲面の存在に関するMarques–Nevesの研究の枠組みで前述のvolume propertyの類似も示されていたことから,その論法を適用できて,Riemann計量の摂動により極小超曲面の和集合が稠密になることが示される.これはMarques,Neves両氏との共同研究によるものである.

もう1つの授賞理由は,ストリングトポロジーのチェインレベルでの構成とその擬正則曲線の理論の融合によるシンプレクティックトポロジーへの応用である.ストリングトポロジーは,Chas–Sullivanに始まる自由ループ空間の (コ) ホモロジーの代数構造の研究であり,それをチェインレベルで厳密に構成することは重要な課題である.そこでまず問題となるのは,横断正則性に関することで,入江氏はde Rhamチェインの理論を構築し,それを用いることで乗り越えた.更に緻密な理論を展開し,Batalin–Vilkovisky構造を備えたチェインモデルの構成を行った.その構成は,擬正則円板のモデュライの仮想的基本鎖の理論と相性が良く,深谷賢治氏により提唱されたストリングトポロジーを用いたラグランジュ部分多様体の位相型に関するプログラムを厳密に確立した.それにより,6次元シンプレクティックベクトル空間に埋め込まれた素な有向3次元多様体は有向閉曲面と円周の直積に限られることなどが示される.

以上のように,入江慶氏の研究業績は接触幾何学,シンプレクティック幾何学に留まらない重要なものであり,入江慶氏は日本数学会賞春季賞の受賞者として誠に相応しい.

日本数学会
理事長 清水 扇丈