日本数学会のあゆみ

高木貞治50年祭記念事業

「高木先生を悼む」(彌永昌吉)--「数学」12巻2号より

高木先生を悼む

彌永 昌吉

高木貞治先生は, 1960年2月28日午後2時50分,85年の生涯を閉じられた. 2週間ばかり前から, 脳卒中のため具合が悪く, ご近親ともども先生のお教えを受けていた者たちも, 心配していたのであったが, ついに起たれることができなかった.

先生は 1875 年4月21日, 岐阜県に生まれられ, 三高を経て, 東大を1897年に卒業, 翌年より3年間ドイツに留学, ベルリンおよびゲッチンゲンチンの大学に学ばれた. ベルリンでは Frobenius の, ゲッチンゲンではではHilbert の講義を聞かれた. 1903年に東大助教授に, 1905年には東大教授に任ぜられ, 1936年3月定年に達せられるまで在職された. 本会の前身日本数学物理学会では、 数次会長などの役員として会の育成に努められた. また1925年以来学士院会員であられ, 1940年には文化勲章を受けられた.

先生の主著である `類体論' が, 世界の数学界にどれほど大きな, 深い影響を及ぼしたかについては、 いずれ本誌でも詳しく報告する機会があろう. ここにはただこの理論は, 本来代数的整数論に属するものであったにかかわらず, このような一分科をはるかにこえたところにも影響を及ぼしていることを注意するにとどめよう.

先生の興味と関心とは, けっして数学のある分科に限られてはいなかった. `類体論' があまりに偉大な業績であったため, その光の中に先生の他の業績が目立たなくなっているかもしれないが, たとえば先生の晩年に発表された Zur Theorie der natürlichen Zahlen, 1931 に対しても, A. Fraenkel が ``これによってはじめて`真の' 自然数論ができた'' と絶賛していたのを聞いたことがある. 学士院で先生の紹介された論文も, 数学の各分野にわたり, しかもそのおのおのがすぐれたものであった. 東大におけるお講義や, `解析概論', `初等整数論講義', `代数学講義' などの名著によって, 日本の数学に与えられた影響も測り知られないものがある.

先生は数年来, 跛行症のためあまり外出されなかったが, お宅にうかがえば喜んで話され, 私たちを元気つけて下さった. ご高齢でぱあったが, なおいつまでも元気でいて下さるもののように, 私たちは錯覚しがちであった. ついになくなられたのは, 私たちに大きな空白を感じさせる. 先生の訃音に対し, H. Cartan教授から寄せられた次のことばぱ, 本会会員全員にあてられたものと解されるので, ここに訳出することとする.

``高木教授のなくなられましたことに対し、 日本の数学者の皆さまに心からおくやみを申し上げます. どうか私の弔意をお受けとりください. しかし高木先生のお弟子や, お弟子のまたお弟子たちのジェネレーションは, その注目すべき業績により, いつも新しい進歩をもたらすことにより, この偉大な数学者の思い出を永久に忘れられないものとするでありましょう.''