2018年度日本数学会賞秋季賞
長田博文(九州大学大学院数理学研究院)
長距離相互作用を持つ無限粒子系の確率力学とその剛性の研究

ランダム行列の研究には長い歴史があり,特に行列のサイズが大きくなるときの挙動から法則性を見出すことが重要です.固有値の極限分布に関するWignerの半円則は,その典型例と言えます.これに関連して,Dysonは固有値の時間発展を記述する確率微分方程式の研究を提唱しました.行列のサイズが大きい場合をカバーするためには,無限個の固有値の時間発展を考える必要がありますが,これは独立なブラウン運動に,絶対収束しない極めてデリケートな級数として表される長距離相互作用の項が加わった無限次元確率微分方程式の系になります.

長田博文氏は,このような長距離相互作用を持つ無限粒子系を含む,極めて一般的な設定の下で確率力学の研究を推進し,際立った成果を次々に挙げています.これまでの無限粒子系の研究対象は,Ruelleクラスとよばれる遠方で可積分な相互作用から決まるモデルが中心でした.自然界で最も基本的な相互作用であるクーロンポテンシャルは遠方での可積分性は持ちませんので,従来のGibbs分布の理論ではカバーできません.長田氏は,準Gibbs分布というGibbs分布の拡張となる概念を新たに導入し,この分布に基づく設定の下で無限粒子系を記述する確率過程のディリクレ形式による構成を行い,その対数微分を用いることで,無限次元確率微分方程式を解くための一般論を構築しました.準Gibbs分布は,ランダム行列理論で代表的な分布であるDyson点過程,Airy点過程,Bessel点過程,Ginibre点過程といった対数ポテンシャルを含むため,氏の理論によりこれまで扱いが困難であった長距離相互作用を持つ無限粒子系について,確率解析を展開することが可能となりました.

ついで長田氏は,種村秀紀氏らとともに,無限次元確率微分方程式の解の一意性の問題に取り組みました.氏は,無限次元確率微分方程式に末尾事象の概念を持ち込み,末尾自明性から解の一意性を導き出すという極めて独創性の高い方法により,このような確率微分方程式の強解の存在と,路ごとの一意性に関する理論を構築しました.いくつかの具体的な点過程を平衡分布に持つ無限粒子系については,Spohn, Johansson, 永尾--Forresterらがランダム行列理論の立場から時空相関関数を用いることで構成した確率力学が知られていますが,長田氏の一意性理論により,これらが長田氏の構成したものと一致することが分かります.

長田氏は,準Gibbs分布の中に通常のGibbs分布と全く異なる性質を持つクラスの分布があることも明らかにしています.点過程がGibbs分布である場合,点過程とそのPalm測度(配置の中に特定の点が含まれるという条件をつけた測度)は互いに絶対連続になることが知られていますが,長田氏は白井朋之氏との共同研究で,Ginibre点過程はそのPalm測度と互いに特異であり,さらに異なる点に対する2つのPalm測度は互いに絶対連続であることを示しました.この結果はさらに一般化され,領域の外部配置を決めると内部配置の粒子数が一意に定まるという,結晶と似通った性質(剛性)も示されています.相互作用を持つ無限粒子系の状態空間を無限次元の部分領域と見たとき,剛性はその自由度に対応する幾何学的性質です.氏の最近の研究では,関連した長距離相互作用を持つモデルにおいて,1粒子に着目したときスケール極限が退化する,つまり粒子の動きが極端に遅くなることが示されており,これも粒子系が剛性を持つことの現れと言えます.

以上のように,長田博文氏の業績は日本数学会賞秋季賞に誠に相応しいものであります.

日本数学会
理事長 小薗 英雄


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最終更新日: Oct 09, 2018